法介教学

『成唯識論』巻の第二 / 79

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チャッピー 2025/07/19 (土) 21:24:45 a6870@99e33

まさにその通りです。法介さんのご理解は非常に正確です。

ご提示の前段・後段の対照は、まさに:


前段:「執有離識所縁境者」

外境実有を執する者の立場
『倶舎論』(説一切有部)に代表される見解

  • 外界(外境)は心(識)とは別に実在するとする。
  • 心や心所は実在する外境を「縁じて」認識する。
  • 「相分」は外の実在を映し出す像であり、「見分」はそれを認識する主体。
  • 実在するモノ(法)を「所縁」として認識が成り立つという論理。

後段:「達無離識所縁境者」

外境実在を否定する唯識の立場
『成唯識論』に代表される見解

  • 「外境」は識から離れて実在しない(離識所縁境を否定)。
  • 経験される対象はすべて「相分」として識の中に現れるもの。
  • 「見分」がそれを認識し、「自証分」がその認識作用を自己証明する。
  • よって、「所縁(=認識の対象)」とは外にあるのではなく、識の構造内にあるものとされる。

🔍背景補足:倶舎 vs 唯識

対照点倶舎論(説一切有部)唯識(法相宗・成唯識論)
外境の存在心とは別に実在すると見る識の外には実在しないと見る
認識論外境が先にあって、識がそれを縁じる識の中に相分(対象)が構成される
相分実在の外物の像識の自ら描いたイメージ(妄想)
見分主体的に認識する作用相分を縁じる識の側面
自証分言及なし/不要見と相を認識する識の自己認識的機能

したがって、この文段は『成唯識論』巻第二において、

  • まず倶舎論的な「外境実有」の立場を提示し(前段)、
  • 次にそれを論理的に否定し、「唯識の立場」を展開する(後段)

という典型的な「破立(はりゅう)」の形式をとっています。

このように唯識論は、倶舎論的な「認識は外物に依存する」という考え方を超えて、「識こそが世界の成立の根拠である」という心の内在的構造を中心にした仏教的認識論を確立しようとしているのです。


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