おまえ、冒頭に書かれている「具騰本種」の意味が理解できてねぇーだろう
いいか!大聖人の基礎は種脱相対で
その本種が106に書かれているものであり、ひいては大御本尊なんだよ
だから「106に執着しない」という事は「御本尊を捨てる事」と一緒なんだよ! わかってんのかよ!!
多分、こいつは富士要集に書かれている106だけしか読んでおらず
堀上人が編纂した方の御書との「違いがある事」も知らないんだろうな
知らないから、一部に偽書の可能性がある事を盾に、106は全部だめと判断したんだろうな
だけど、偽書と判定した部分には二重線が そして曖昧な部分には線が
そして真筆と判断した部分には線が引いておらず
堀上人が編纂した御書は、その線が一本も引かれていない内容、つまり真筆を載せているんですよ
106は、そういう違いがあるんです
・・・で、だな、お前さんが言った方の主張は、二重線が引いていない部分の内容でもあり
その部分は碌内、つまり、堀上人が真筆だと判定して御書で採用したものなんだよ
わかってんのかよ! なに、原田と同じ事を主張しているんだ
それと、宿坊板の連中も、原田と同じ事をこいつが主張している事に気づけよ!!
もっとも余計な三重相対を重ねた波田地の教えを信じているようだと気づかねぇ―んだろうな