- 無の証明は本当にできないのか
- 56
- 57
最新トピック
0
2 ヶ月前
あろくを蘇生する方法 2 ヶ月前
0
1 年前
雑談メインの新喧嘩サイトHOPE 1 年前
393
1 年前
喧嘩王 謁見の間 1 年前
47
1 年前
5億年ボタン押すやつ頭悪すぎwwwwwww 1 年前
112
2 年前
オススメコーナー 2 年前
40
2 年前
音壷 2 年前
81
2 年前
哲学的雑談 2 年前
8
2 年前
キャスフィ避難所 2 年前
191
2 年前
テストトピック 2 年前
帰納法で意見を構築するにせよ
その根底には公理の役目を果たす何らかの土台が必要になってくるだろうが。
この一言で大体の部分に反論できちゃうわけだが?
コピペですまないが・・・ちゃんと読み直してくれんか?
トピックの表題には
【人生のストーリーすべてが完全に記録されていて何も悪事を働いていなければ無実は証明できる】
こんなことが書かれている。
論理的に考えるならそのデータに人生のストーリー全てが本当に記録されているかどうかは分からないので、その記録により導き出せる結論も「無実である見込みが非常に高い」といった内容であるはずだが、ここでは蓋然性を100%の近似に近付けようとする行為を証明として扱ってるわけだ。
いわばこれも公理の信仰に該当する内容だろう。
それを踏まえたうえで。
無実かどうか分からないという状況において「無実だと主張する」ってのは
即ち「無実かどうか分からない」に対して否定的立場をとることになるわけだが
その場合、無実である蓋然性を100%の近似に近付けようとする必要性は生じてこないのか?って話だよ。