しり掲

しりとり専用掲示板巻の7 / 1233

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つっちー@城玉 2025/07/04 (金) 22:33:16 5e93b@09de6

ジュール・ド・ポリニャック

1780~1847、Jules Auguste Armand Marie, prince de Polignac。フランスの初代ポリニャック公爵
(アルマン・ジュール・フランソワ・ド・ポリニャック)とヨランド・ド・ポラストロン夫人の次男。母(後述)の権勢もあり幼少期は
何不自由ない生活を送っていたがフランス革命でオーストリアに亡命。ナポレオン治下のフランスに帰国するが、とある陰謀事件に
関与を疑われ1804年~1813年まで投獄される。ナポレオン失脚後陸軍少将に昇進し、百日天下の間はオランダのヘントに避難した
ブルボン家王族と共にいた。1820年に教皇ピウス7世により「ロマン公爵」の称号を与えられ、駐英大使としてはギリシャ独立を認める
ロンドン条約にフランス全権として調印。1829年、絶対王政の復活を目指すシャルル10世の元で外務大臣さらに兼首相となる。
農作物の不作や不況で労働者やブルジョワ階級から王政への不満が高まっていた時期に、母の評判に起因する不人気かつ超王党派の人物が
首相となったことは多くの反発を買い、国民の不満を逸らすため1830年6月にアルジェリア遠征を実施、7月に報道の自由の制限、
下院の解散、4分の3の有権者から投票権剥奪、下院制限選挙の実施(七月勅令)を打ち出した。ここへ来てついに七月革命が勃発し
復古王政は崩壊、ポリニャックは貴族院での裁判の結果終身刑を言い渡されたが、1836年の大赦で国外追放に減刑され、イギリスに亡命。
のちパリに住まない事を条件に帰国、死の少し前に兄の死を承けてポリニャック公爵を引き継いでいる(第3代)。
彼の母ヨランド・ド・ポラストロン夫人は、ルイ16世王妃マリー・アントワネットの側近として偏愛を受け巨額の下賜金を得て
大いに権勢を振りかざしたため同時代の人々から嫌われていた(『ベルサイユのばら』にも登場、
もんくがあったらいつでもベルサイユへいらっしゃい!」のセリフで有名)。またジュールの弟メルシオールは、モナコ公国の君主
アルベール2世の直径先祖にあたる。

若林様:
アニスを漬けたスピリタスに水で割っても白くなるので、しかし飲んだら確実に顔から火を吹きます。
秋葉原のHUBでロックで飲んだときはまだ若かったなとふと懐かしく感じた次第です。

FUZはときどききららで連載持っていた方が登場することがあるので、またきらら連載の追っかけ連載が載ることが
あるので、一応はチェックはしています。またぞろ。の幌田先生の「俺のカスみたいな人生は全部タヌキのせい」
単行本1巻発売中です(最近追っかけきれてないですが)。
そんなわけで明日はばっどがーるのアニメ放映開始、非常に期待しております。お仕事無理なさらず適度に願います。

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