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阪神ファンになった経緯(2)
1973年のシーズン終盤、にわかにパ・リーグが注目を集め始めた。
当時4~5歳だった僕は分かっていなかったが、
この年パ・リーグは初めて前後期2シーズン制を導入。
以降この制度は1982年まで10年間続くわけだが、
その一年目ということで、テレビなどでも多く取り上げられたのだろう。
この時点で僕は初めてパ・リーグの存在を知ることとなったのだが、
同時にプロ野球全体の構図も理解するに至った。
・普段はセ・パそれぞれ6球団ずつに分かれて戦っている
・それぞれの勝者が「日本シリーズ」という頂上決戦を行う
・その前にパ・リーグのみ前後期それぞれの覇者による代表決定戦が行われる
で、この年のパ・リーグは前期優勝が南海、後期優勝が阪急。
プレーオフは後に「死んだふり優勝」を言われるようになった南海が勝利した。
選手兼監督だったノムさんは大々的にフィーチャーされ、
僕は「なるほど、この人が率いる緑っぽいチームがラスボスなのか」と思った。
そう、このときの僕はまだ巨人目線でプロ野球を見ていた。
しかも、ウルトラマンや仮面ライダーを見るのと同じような感覚で。
つまり、この時点での認識はこんな感じ。
・巨人が普段戦っている阪神とか中日は、いわばショッカーのような存在
・一方でパ・リーグでは怪人同士が戦っていて、最後にラスボス決定戦(プレーオフ)が行われる
・当然のように巨人が日本シリーズに進出し、ラスボスとの最終決戦が行われる(もちろん巨人が勝つ)
実際に巨人はセ・リーグを制し、日本シリーズでも南海を撃破。
それらはすべて「予定調和」のようなものなのだという感覚でしかなかった。
無理もない。まだ幼児。
幼児でありながら、巨人は自分が生まれる以前から、
ずっと勝ち続けていることだけは、この時点で既に知っていた。
この年で9連覇達成。
4~5歳の子供にとっての9年は長い・・、長すぎる。
自分の人生の2倍。
今の感覚でいうなら「もう巨人は一世紀以上前から、常に勝ち続けている」みたいなものだった。
つづく・・
(前フリなげーよw)