「情報処理を循環的に捉えている」とご自身で書いているように、社会的情報処理モデルは発達に関する学説ではなく、情報処理に関する学説ではないかと思います。なぜこれが発達の学説だと思うのか、その理由を考えてみることが必要かと思います。「この学説が間違っていたら、こちら」という書き方はよくないと思います。自分自身で理解できていないからです。他人から評価をもらっても、ただ「あっていた」で終わってしまいます。
「「均衡-不均衡-再均衡」の過程を経て能力を獲得し、次の段階へ移行する」ことはわかりましたが、これがどうして右肩上がりといえるのでしょうか。右肩上がりと主張する根拠が薄い説明ではないかと思います。右肩上がりであるというには、「未熟から成熟へ」という特徴づけが可能かどうかにかかっていると思いますが、この学説のどこにそれは表れていますか。
3点差し上げます。
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