>> 932フィードバックに対する返信
課題1 2次資料ではあるが、「ネルソンは、フラッシュバルブ記憶が生成されるのは、ニュースに接した時のインパクトによるのではなく、そのニュースについてさまざまな機会にし、語り合うためであると説明している。そうした会話はしばしば、その事件を知ったとき自分はどこにいて、何をし、どのように感じたか、という説明を含んでおり、そうした想起が繰り返されることで、会話をとおして記憶は定着していく。」と記述があった。確かに、私も大震災の際などに同様の会話をした覚えがある。
また個人的に似た事例として、コミュニティーで共通の強烈な過去の話題は、確かに社会的な事件でなくとも、そのコミュニティー内で暫く話題され、時間が経ってもたまに話題に上がることが挙げられる。この事例がフラッシュバルブ記憶の原理と同様であると考えると非常に身近な現象と言える。
記銘-貯蔵-想起の関係性を注視しすぎ、想起は何度も起こり得、それにより定着が促進し得る事が頭から抜けていた。
出典 山下清美(2008)「自伝的記憶は共有できるか」『心理学評論』51(1)196-198.
DOI(https://doi.org/10.24602/sjpr.51.1_196)
課題2 エピソード記憶、知覚的表象システムに関しては正しい理解が無かった上、端的かつ強引に述べ過ぎた。
課題3 完全に自分の論述力の問題だが、前半で伝えたかったのは、考慮すべき記憶情報の膨大さではない。
膨大な記憶の解釈を正しく行う為には、受け皿となるカテゴリーを増やすしかない。だがそれでもカテゴリー間の隙間となり心理を測る上で考慮できない箇所は必ず生まれる。そして認知心理学の処理段階に照らし合わせて考える場合、処理が起こる箇所が多すぎる。故に実際の心との差異が心の理解に利用するには不適切であると言えるほどに大きいのではないか、という主張を意図していた。
また後半はエラーが主軸ではない。コンピュータアナロジー的な方法を検査法として評価したとき、どれだけ妥当性の為に記憶を分類、評価しても、それは観察法の事象見本法的にただカテゴリー分けされた"データ"である。故に最終的に検査者の主観を通す"解釈"という段階が必要であり、心の理解、正しい解釈を目的とするならそれは内的妥当性が低く、不適切な可能性が高いのではないか、という論理展開を意図していた。
>> 924について、非常に冗長に記入し、多大な負担をかけてしまった事を申し訳なく思う。以降の回答では簡潔かつ自明な読みやすい回答の提出を心掛ける。また「目を向けることも推奨される」と述べておきながら、補足への先生のコメントについて勉強不足により共感できない為、課題1の1次資料と共に書籍を当たることとする。
再度の返信、ありがとうございます。文章が難しくよくわからなかったところがあります。誤解していたら申し訳ないです。
課題1: 二次資料のせいなのか、私の質問に相応する解答ではありません。これは「社会的リハーサル」という現象で、フラッシュバルブ記憶ではないです。原理も違うと思います。
課題2: 確かにぎこちない説明でした。向上しようという意識が現れていてよいですけれども。
課題3: 「カテゴリー間の隙間となり心理を測る上で考慮できない箇所」とはどういうものですか。「主観」とか「解釈」がプログラミング困難である理由を聞きたいです。
3点差し上げます。