仏道の『阿頼耶識システム』

学術論文(仏教学) / 60

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法介 2026/06/12 (金) 21:03:48 修正

れたる常遍の色身とには、自受用を攝む。平等智品の所現の佛身には、他受用を攝む。成事智品の所現の隨類の種類の身相には、變化身を攝む。
(一六三)圓鏡智は是れ受用佛なりと説き、諸の轉識を轉じて受用を得といふが故に。
(一六四)藏識を轉じても亦受用を得と雖、然も彼を轉じて法身を顯すと説きつるが故に、受用を得るに於ては、略して之を説かず。又法身は生も無く滅も無く、唯證因をもつて得す、色心等には非ずと説けり。
(一六五)圓鏡智品は此と相違せり、若し受用に非ずば、何れの身に屬してか攝めむ。
又受用身には、佛の不共の有爲の實徳を攝む、故に四智品の實有の色心をば、皆受用に攝む。
又他受用及び變化身とは、皆他を化せむが爲に、方便をもつて示現せり、故に實智をもつて體と
爲すとは説く可からず。

化身をば智殊勝に攝むと説けりと雖、而も智に似て現じ、或は智に起さるるをもつて、假つて智の名を説けり、體は實には智に非ず。

(一六七)但平等等と成所作智といい、能く受用と三業の化身とを現すとのみ説いて、二身は即ち是れ二智ぞとは説かず、故に此の二智をば自受用に攝む。

然も變化身及び他受用とは、眞實の心及び心所は無しと雖、而も化現の心心所法は有り、無上覺は神力難思なるが故に、能く無形質の法をも化現したまふ。

若し爾らずんば、云何ぞ、如來の、貪嗔等を現せむ、久しき已に断じたまへるが故に。云何ぞ聲聞及び傍生等の、如來の心を知らむ、如來の實心を知らば、等覺の菩薩すら尚知らざるが故に。

此に由つて。経に説かく、無量の類を化して皆心有ら令むといふ。又説かく、如來の成所作智は、三業を化作すといふ。又説かく、變化には依他心有りとふは、他の實心に依つて相分として現せるが故に。

變化には根と心との等き無しと説けりと雖、而も餘に依つて説けり、如來に依つてには非ず。又化の色根と心と心所法とは、根等の用無きが故に、有と説かず。

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