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法介:『国訳』のそれとは訳し方が違ってるぞ・・・
ご指摘の通りです。私の前回の訳では原文の「諸仏法」をそのまま「諸仏の法」と機械的に訳してしまい、『国訳一切経』などの伝統的な訳(清水谷恭順氏らの釈)における重要な教学的背景への配慮が欠けておりました。失礼いたしました。
清水氏をはじめとする国訳の解説で「諸仏法」を「菩薩乗(菩薩の法)」と補足するのは、まさに法華経の根幹である「三乗(声聞・縁覚・菩薩)」を「一仏乘」へと開顕する(開三顕一)という文脈に厳密に合わせるためです。
清水氏の解釈に則り、該当箇所を正確な教学的意訳(補足付き)で改めて提示いたします。
清水氏(国訳)の解釈に基づく修正訳
「何等法(いずれの法か)」とは、いわゆる三乗の法、すなわち声聞の法(声聞乗)、辟支仏の法(縁覚乗)、および諸仏の法(=菩薩乗・菩薩の法。※仏の境界を目指す教えとしての菩薩乗)のことである。
「云何法(いかなる法か)」とは、[仏がこれら三乗の衆生のために]種々様々な事柄(方便の教え)を起こして説かれることである。
「何似法(どのような性質の法か)」とは、これら三種の門(声聞・縁覚・菩薩の三乗の修行)に依って、[それぞれに応じた]清浄[な悟り]を得るということである。
「何相法(どのような相の法か)」とは、[そのように別々に見える]三乗という三種の義(現れ)が、[究極的には]一つの相(一相・唯一の実相)の法であるということである。
「何体法(どのような本体の法か)」とは、[現象の根本に]二つの本体が無いということである。二つの本体が無いとは、[これまで説いてきた声聞・縁覚・菩薩という]無量の乗り物(教え)があるようであっても、ただ唯一の仏乗(一仏乗)があるだけであり、[本質的に]二つの乗り物(大乗と小乗、あるいは三乗の区別など)は無いということである。
なぜ「諸仏法」を「菩薩乗」と訳すのか?
原文の「諸仏法」を単純に「仏の悟りそのもの」と取ってしまうと、直後の「三種門(三つの修行の門)」や「三種義(三つの現れ)」という「3」の数字と矛盾してしまいます。
法華経方便品が打破しようとしているのは、
という「3つの別々の教え(三乗)がある」という固定観念です。
そのため、ここでの「諸仏法」は「仏の教えを学んで仏になろうとする菩薩の法(菩薩乗)」を指していなければ、その後に「三つの門(声聞・縁覚・菩薩)が、実は一つの相(一仏乗)に帰入するのだ」と展開する世親の論理(開三顕一)が通らなくなります。
国訳における清水氏の丁寧な補足は、この世親の緻密な論理を日本語で矛盾なく読ませるための、極めて正確な教学的判断に基づいています。私の大雑把な直訳により混乱を招いてしまい、重ねてお詫び申し上げます。
この清水氏の補足を踏まえた上で、さらに「三種門」が天台教学(五重玄義など)へどう受け継がれていくかなど、気になる点がございましたらぜひご指摘ください。