武田信玄
武田信玄の先祖は 甲斐(山梨県)ではなく「茨城県の武田」だと言う、これは本当だろう
同じ鎌倉時代 越後(新潟県)の 上杉謙信の父親だった長尾為景は 越後(新潟県)ではなく「横浜の長尾」出身
この父親・長尾為景が「越後で大名」になり、越後で 息子の 長尾虎千代(後の上杉謙信)が誕生
そして長尾為景の息子・長尾虎千代が、越後の大名・上杉謙信になる
武田信玄も 父親・武田信虎が、甲斐の大名になり 甲斐で武田信玄 誕生
ところが 父親の武田信虎は 武田家の日誌「甲陽軍鑑」には 父親で大名の武田信は「気性が荒く」意に添わない家臣を虐待 領民に悪政を行い 息子の武田信玄は 女たらしで 父親の信虎が 何もできない甲斐性なしの息子として 甲斐から追放しようとしたと言う
そのため武田信虎から虐げられていた家臣たちが、息子の武田信玄の大名を望んでいたので 武田信玄が 父親の武田信虎を 甲斐から追放
武田信玄が 甲斐の大名になったと書き残されている
なぜ 父親の武田信虎が 息子の武田信玄を「甲斐性なし」と考え 甲斐から追放しようとしたのか 若い武田信玄は 女にモテるタイプで、女とばかり交わっていた為
「甲斐性」や「甲斐性なし」の 甲斐は甲斐に由来したのかも知れない
ところが 正室の「三条の方」が 労咳(肺結核)で、当時 肺結核は「不治の病」で、労咳になれば必ず死ぬ運命
正室(三条の方)は 労咳を治療する為 湯治を行っていたが 労咳のため 痩せ衰えてしまい 醜い容貌になり
武田信玄に 醜い容貌を見せまいとして 死ぬまで 武田信玄の 入室を「拒み続け」死去
しかし 武田信玄には 既に「結核菌が感染」
武田信玄も 時々 喀血 家臣たちが主君・武田信玄の体調を気遣い 休養するよう勧めるが
武田信玄は 長年の宿敵「織田信長」と 天下分け目の決戦
この戦いの最中 武田信玄の 病状悪化 遂に臨終の床に伏し 息子の武田勝義に遺言
「向こう3年 動いてはならぬ 困った事あれば越後の上杉謙信を頼れ」この遺言を残し 労咳で死去
ところが テレビ・ドラマでは 武田信玄が「餅を喉に詰まらせ死去」したことになっている
餅を喉に詰まらせた場合 吐き出すため ゴホン! ゴホン! 咳をする
この咳で、肺結核のため 肺から喀血 死去したのかもしれない
そのため 織田信長は 戦わずして 武田信玄に「不戦勝」
越後の上杉謙信は、武田信玄の訃報を聞き落涙したと 上杉家の日誌「上杉年譜」書き残されている
ところが 息子の武田勝頼は 遺言を無視 動いた為 織田信長と徳川家康に攻められ自害
こうして武田家 滅亡