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東京都が「日本の中央集権」で財源が豊富
その為、高市総理 片山財務大臣 小池都知事のそれぞれに考え
見出し・・・高市・片山・小池 3人の女性トップリーダーが抱く共通の危機感 “カネの移し替え”対立に変化の兆し
これまで、地方税財政をめぐって国と東京都は長く平行線をたどってきた。東京都は、都内で生み出された税財源が地方に再配分される現行制度について、「何に使われ、どんな効果があったのか見えにくい」と問題提起し、国側は「偏在是正」の必要性を訴えてきた。対立の軸は一貫して“カネの移し替え”だった。
◆異例…財務大臣が都庁を訪問
ところが、東京都と国の関係に、これまでとは少し違う空気が流れ始めている。
4月20日、片山財務大臣が自ら都庁に足を運び小池知事と面会。財務大臣が都庁を訪問するのは、異例のことだ。
「限られたパイを取り合うというような、内向きな議論の先には我が国の未来はありませんね」
面会では、まず小池知事が改めて問題意識を示した。
そして、東京都から他道府県に配分される資金について、「地方の財源が真に増えているのかどうかよくわからない」「資金が何に使われているのか、その実態がよく見えない」「どのような効果が出ているのか分からない」と3点を指摘した。
さらに、東京から年間1.6兆円、累計12.6兆円超が地方に配分されたことに触れ、「都民や事業者、タックスペイヤーの皆さんに説明がつかない」と率直に語った。
単に“東京の取り分を返せ”という話ではなく、今の制度が地方の自立や成長につながっているのかを、政策効果の面から問い直したのである。
とはいえ、取材では記者から「わざわざ大臣がいらっしゃるということの意味」を問われ、「都とそして国、なかでも財務省の皆さんと連携ができるということは非常に大きいことです」と歓迎の意を表した。
その一方で片山氏も、国と東京都の協議会に触れたうえで、「東京都が日本の成長を牽引していただくように、ぜひ取り組みを進めてまいりたい」「(東京都の政策課題は)我々の成長戦略と地域未来戦略と、軌を一にしてこそ、爆発的な力がある」と応じた。
◆高市総理・片山大臣・小池都知事 3人共通の危機感とは
面会後、小池知事は報道陣に対し、「これまで通りの方式を取っていてよろしいんでしょうか」と問いかけたうえで、「このまま、ズルズルとさらに力が弱くなって、世界の中でその存在が薄れ、忘れかけられているということを皆さんお望みでしょうか。『どこかで大きく変えていきたい』と高市さんもそう思っておられる。片山さんもそうです。私もそう思っています。是非こういう形で、今の日本の危機的な様々な状況は一つひとつきっちりと、そして大胆に前へ進めるべきだと、このように強く思っております。」と述べた。
◆実は「初めて」 総理と都知事の協議会
また、“新たな空気感”は、国と東京都の協議会でも感じられる。
4月10日の初会合には、高市総理と小池知事、両トップが出席。
「日本経済の中心地であるグローバル都市東京が、更なる発展を遂げることは、『強い経済』の実現に向けて、必要不可欠でございます。」高市総理がこう切り出すと、小池知事も「強く豊かな日本、東京へ、しっかりと歩みを一にしながら進めていただければと思います」と応じた。
都の幹部らも、「これまで事務方での協議はあったが、(総理と都知事という)政治家同士が日本の成長を一緒に考える協議会は初めてだ」と話し、国との関係性の“変化”を感じている様子だった。
◆「うらやましい」を全国実装に
官邸での会議から7日後、小池知事の姿は、国会議員会館にあった。
「出生数でございますが、10年ぶりで出生数が通年でプラスに転じていく、日本人の出生数でございます」
小池知事は超党派の「産前産後の母体に対するケアを通じて包括的に女性支援を考える議員連盟」に講師として招かれ、都の少子化対策を説明していた。
東京都は、「シームレス(=切れ目なく)」を合言葉に、出会い・結婚支援から不妊治療、卵子凍結、無痛分娩、伴走型相談支援、家事育児サポーター派遣、産後ケアまで、妊娠前から産後まで支援を縦につなげる政策を進めてきており、東京都内の2025年の日本人出生数は11月までの累計で前年同期比0.7%増となり、10年ぶりに増加へ転じることが確実とみられている。
産後ケア議連は設立時から、産前産後ケアを起点に女性の健康を生涯にわたり支える基盤づくりを目指すとしてきた。産前産後の女性の9割超が腰痛などの身体トラブルを抱えながら、受診は15%にとどまるという実態や、助産師や理学療法士を含む多職種連携の重要性を指摘、中間報告案では、産後の休息や回復を「自己責任」にしない制度設計を訴えている。
東京都のシームレス実現と近い動きといえるだろう。
会場内からは「東京都がうらやましい」との声が上がったが、東京都の施策を“東京だけができる”で終わらせず、国が制度化し、地方で実装しやすい形にできるかが問われている。
◆対立ではなくシームレスで日本を強く豊かに
これまでの「偏在是正」は、東京から地方へお金を回すことで成り立ってきた。しかし、それだけで地方が強くなったのか、住民の納得が得られているのかという問いは残ったままだ。
いま必要なのは、東京と地方を対立させる発想ではなく、東京で芽吹いた政策を国が受け取り、全国にシームレスにつないでいくことではないか。
片山財務大臣の都庁訪問、国と東京都の協議体、そして小池知事自ら国会議員らと重ねる意見交換は、その入り口だ。
国と東京都の連携を、形式的なものではなく、実質的なものへ変えていけるのか。その結果、日本全体を“強く豊かに”できるのか、今、政治に問われているのは、まさにそこではないか。
日本は「東京が中央集権」で「財政が豊富」
地方は「財政難」の国 この経緯を投稿
徳川家康が「天下人」になり「征夷大将軍」となり 江戸の町に「江戸城」を築城 徳川家康は この江戸城を「居城」とし
日本全国に 300近くの「藩」を設ける・・福岡藩 薩摩藩 鍋島藩、長州藩と言ったように全国に300近い「諸藩」を設ける
この諸藩の「藩主」が「大名」で 領民たちは、藩主(大名)を「殿様」と呼び
諸藩の大名は 江戸の徳川征夷大将軍を「上様」と呼び 諸藩の大名たちが 上様に「忠誠を誓っていた」
だから上様がいる「江戸」が「中央集権」で 日本の諸藩の大名たちを支配していた
この徳川征夷大将軍(上様)をサポートする役職が「幕閣」で 現在の「内閣」 この内閣の一人が 現在の「片山財務大臣」
この「江戸の上様」が 現在・「東京(江戸)が中央集権」となっている「総理大臣(現在の高市総理大臣)に「相当」
これは 徳川幕府を倒し「明治政府」になり 明治政府は「江戸幕府を倒した」ので徳川征夷大将軍が 日本全国の中央集権だった「江戸」を「東京」に改名
徳川幕府の「諸藩」を廃止 日本全国を「都道府県」にする「廃藩置県」
諸藩の「大名」が、現在の「都道府県」の「知事」に相当
このうち「東京都」には 中央集権の国会が存在する「東京の霞が関」がある
だから当然の成り行きで 中央集権の国会(東京都千代田区の霞が関)は 東京にあるので 東京都には「各企業の本社」が集結 人民が集結
日本最大の経済都市になり 東京都には わんさか、税金が納税され 東京都は 日本一財源が豊富
しかし 地方の県は「財源不足」そのため財源が豊富な東京都の財源が 地方に配分されているので
「内閣の片山財務大臣」と「東京都の小池知事」が「財源を巡り会談」
これは すなわち 中央集権で日本を統治支配する「高市総理大臣」の問題
問題の「核心」が分からない日本人識者
4ページにも及ぶ ぐだぐだ解説
見出し・・4ページの1ページ目・・信長は比叡山に突然キレたわけではない…「焼き討ち」前年、8人の子を遺して宇佐山城を死守した忠臣の名前
森可成が織田信治の遺体を背負って戦う様子を描いた、落合芳幾画「太平記英勇伝 七十六:森三左エ門可成」(東京都立図書館所蔵)
「豊臣兄弟!」(NHK)で描かれる信長最大の暴挙ともいわれる「比叡山焼き討ち」。古城探訪家の今泉慎一さんは「その前年、比叡山と組んだ浅井・朝倉軍を食い止めるため、信長の家臣が30分の1の兵力で立ち向かい、戦死したという事件が起きた」という――。
【図表をみる】宇佐山城・比叡山延暦寺の位置
■信長vs比叡山、最前線の山城
第10回:宇佐山城(滋賀県大津市)
「豊臣兄弟!」(NHK)で姉川の戦いに勝利した織田信長(小栗旬)だったが、浅井・朝倉連合軍との争いはまだまだ続く。というより、むしろそこから争いが本格化していったと言っても過言ではない。
姉川の戦いが1570(元亀元)年6月、同年の9月から約3カ月間、「志賀の陣」が始まる。姉川は琵琶湖の東岸だったが、今度は同じ近江国でも西岸。浅井・朝倉と手を結んだ比叡山延暦寺(図表1①滋賀県大津市坂本本町4220)が、この争乱の中心となる。
対する織田家の最前線かつ最重要拠点が宇佐山城(図表1②滋賀県大津市宇佐山町)だ。延暦寺から南へ直線距離で5km弱。この城を任されたのが森(もり)可成(よしなり)。信長の小姓であり本能寺の変で共に死すことになる森蘭丸(成利)の父で、織田家でも有数の猛将として知られていた男だ。最前線でのその戦いぶりはいかなるものだったのか。宇佐山城の遺構を訪ねつつ探ってみたい。
■山そのものが険しい城塞
近江神宮の背後にそびえる宇佐山一帯の山頂が宇佐山城で、麓からの比高は180mとなかなかに険しい。近江神宮の南側にある登山道から見てとれる急峻さだけで、難攻不落の山城だということがよくわかる。
登山口から10分ほどで宇佐八幡宮。ここから先、登りが本格化する。
■森可成が防御を固めた宇佐山城
道はここまでの参道と一転し、神社の本殿裏を回りこんだ先から本格的な山道に。勾配も全く異なる。宇佐山城ははるか頭上で、どのぐらい先にあるのかさえ不明。急勾配なので、つづら折りに何度も向きを変えながら、ひたすら進む。道幅は徐々に狭くなってくる。崖っぷちのわずかにつけられた山道だけが頼り。
これらは全て自然地形のままと思われるが、どこに城を築くかも築城者の腕の見せどころ。というか、山城ではそれが最重要といってもよいかもしれない。急造される場合が多い陣城(戦場に築かれた前線基地)なら尚更。この場所を選んだのは信長か可成か。いずれにしろ慧眼といえる。
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち令」を下したのか?
足利尊氏が築いた「室町幕府」は 次第に「零落」に向かう
「11代足利義輝・征夷大将軍」の頃、室町幕府は零落していたため「佐渡の金山」を抱えていた越後の大名「上杉謙信」が支えていた
このように室町幕府は「零落」していたので「諸藩の大名」は「落ちぶれた室町幕府」に忠誠を誓わず」諸藩の大名たちは
自分が「天下人」になり、自分の幕府を築くため権力闘争の「戦国時代」
そのため 三河の大名だった「織田信長」は 自分が天下人になるため 落ちぶれた室町幕府を「支配」するため
中国の「趙高」と同様に 秦の始皇帝の死後 自分が「秦王朝を支配」する為 始皇帝の遺書を偽造
始皇帝の末っ子(胡亥)を2代目皇帝にする遺言に「捏造」
こうして趙高が 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝を支配する
日本人識者は「井の中の蛙、大海を知らず」で実態が理解できていない
織田信長は、趙高と同じように「室町幕府を支配」するため「足利義昭」を15代征夷大将軍に「擁立」
そのため織田信長は、趙高が 2代目皇帝・胡亥を手玉に取り「秦王朝を支配」したように
室町幕府の15代征夷大将軍の「足利義昭」を手玉に取り「室町幕府を支配」
子供でも分かる・・手玉に取られていた「足利義昭・征夷大将軍」は、自分が征夷大将軍であるにもかかわらず
諸藩の大名・織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に織田信長を「討ち取る」よう命じる
ここで越前の大名「朝倉義景」や 近江の大名「浅井長政」は 上様・足利義昭・征夷大将軍の「家臣」で
上様である足利義昭・征夷大将軍の「家臣」なので朝倉義景・浅井長政は、不忠義者の織田信長を討ち取るため
比叡山では 僧侶たちが 一向宗のように「戦闘軍団化」していたので味方に引き入れる
当然、比叡山は、織田信長の「敵」になる
「人間の心理」は 敵よりも敵に「味方したヤツの方」が「遥かに憎い存在」になるので
織田信長は 敵の足利義昭・征夷大将軍や 朝倉義景、浅井長政より 味方した「比叡山」が遥かに憎く
家臣に 比叡山の仏閣を「すべて焼き払い」「僧侶たちを皆コロ」し、するよう命じたのが「比叡山焼き討ち令」の核心
以上が なぜ織田信長が「比叡山焼き討ち」したのか、その理由
4ページの長文解説など必要ない 日本識者は なぜ?の核心を 簡潔明瞭に言えない
トランプの夕食会議中 発砲した男
見出し・・発砲事件受けトランプ大統領が会見「イラン攻撃関係とは思わない」
ホワイトハウス記者会主催の夕食会で発生した発砲事件を受け、トランプ大統領が緊急会見を開き、容疑者が複数の武器で武装していたと明らかにしました。
アメリカ トランプ大統領 「今夜の出来事を踏まえ、私はすべてのアメリカ国民に対し、対立を平和的な方法で解決するよう改めて呼び掛けたい」
トランプ大統領は容疑者がカリフォルニア州在住と明らかにしたうえで、複数の武器で武装していたと明らかにしました。
また、自身のSNSで拘束された容疑者の写真を公開しました。
一方で、発砲がイラン攻撃と関係しているかとの質問に対しては「そうは思わない」と述べ、否定しました
・・・この「発砲した男」は「カリフォルニア州の出身」で「中東アラブ人」だった可能性
「1600年初頭」から「1800年の半ば」まで200年間かけて「北米大陸」に「アメリカ合衆国49州」を築く
この「49州目』の「州」が、太平洋に面する「カリフォルニア州」で
この当時、北米大陸(アメリカ合衆国)は 駄々っ広い荒野で 道路も 鉄道も 公共施設がない時代で
合衆国政府は「移民こそが アメリカ合衆国を建設する「礎(いしずえ)」になる」として
「移民奨励法」を施行
その為 中國移民(華僑) 日本人移民 西洋人移民 ユダヤ人移民 アラブ人移民などは
太平洋を船で横断すれば。必然的に太平洋に面する「カリフォルニア州」に漂着する
そのため カリフォルニア州の「サンフランシスコ湾」から「カリフォルニア州に入植」
その為 中國移民(華僑) 日本人移民 西洋人移民 ユダヤ人移民 アラブ人移民」が、アメリカ合衆国を建設する
このカリフォルニア州に入植したアラブ人の子孫が発砲した「可能性」
理由は「米国+イスラエル」が「中東アラブ人の国・イラン攻撃」
だからカリフォルニ州に入植していた「アラブ人」の子孫が 米トラを暗殺する為 発砲した可能性
合衆国政府の「移民奨励法」とアラブ人
参考
「移民奨励法」とは何か
移民奨励の代表例
アメリカで「移民を奨励する」法律としてよく挙げられるのは、南北戦争期の次のようなものです。
1864年「移民奨励法」
南北戦争で労働力不足になったことから、政府が移民募集会社を認め、契約労働移民を組織的に受け入れようとした法律です。エイブラハム・リンカーン大統領が署名し、連邦レベルでは初の本格的な「移民奨励」法と言われます。
ただし、この法律自体は短命で、のちに廃止され、アメリカの移民政策は次第に「奨励」から「制限・選別」へと向かっていきます。
🧭 アラブ人とアメリカ移民法
国籍別・地域別の制限
アラブ人を名指しで「奨励」した法律があるわけではなく、アラブ人は主に「中東・北アフリカ地域出身者」として、他の地域と同様に移民法の枠組みの中で扱われてきました。
アメリカの移民法は、20世紀前半までは国籍ごとの割当制など「人種・出身地」に強く依存した規制で、西欧出身者を相対的に優遇していました。
1924年移民法などは、特定地域の移民を大幅に制限し、民族構成の維持を目的としたものとして知られています。
その後、1965年移民法改正で人種・国籍による差別的な割当が撤廃され、家族結合や職業技能を重視する現在の枠組みに近づき、中東・アラブ地域からの移民も増えていきました。
「奨励」というより「条件付き受け入れ」
現代の制度では、アラブ人を特別に「奨励」するというよりも、他地域と同じように
家族呼び寄せ
雇用ベースの移民ビザ 難民・亡命などのカテゴリーで、条件を満たす人を受け入れている形です。
一方で、テロ対策や安全保障上の理由から、中東・アラブ地域出身者への審査が実務上厳格になった時期もあり、「奨励」というよりは、セキュリティ審査と移民受け入れが常にセットで語られてきました。
🧩 いまのアラブ系アメリカ人の位置づけ アラブ系アメリカ人は、アメリカ社会の中で一つの少数派コミュニティとして存在しており、政治意識や社会問題への考え方は一枚岩ではありません。調査によると、多くは政治的に中道からリベラルと自認しながらも、不法移民問題などでは比較的保守的な意見を持つなど、複雑な立場が見られます。
トランプは不適切は 発言をしていない
日本識者が「おかしな翻訳」を報道している
見出し・・4ページの1ページ・・「トランプは狂った犯罪者」支持者は離れ、他国からも批判…トランプ大統領が発した“禁句”とは
支持率低迷が続くトランプ大統領 ©CNP/時事通信フォト
ドナルド・トランプは自滅への道を歩んでいるように見える。公約だった「戦争をしない」を覆してイラン戦争を始め、MAGAインフルエンサーたちから一斉に批判された。ガソリン代の急騰により、MAGA有権者もトランプから離れ始めた。(寄稿:堂本かおる)
◇
確たるプランもなく簡単に勝てると始めた戦争は泥沼にはまり、逆上してイランの「文明を全滅させる」と人道にもとる暴言を吐いた。さらには戦争反対を唱えるローマ教皇にまで噛み付いた。失いつつあるクリスチャン有権者の支持を取り戻そうと自身をキリストとして描いた画像をSNSにポストしたが逆効果となり、世界中から大批判を浴びた。
トランプのこうした言動を受け、職務履行が不可能な大統領を罷免する憲法修正第25条の発動案までもが出ている。それでもなおトランプはナルシシズムと権力志向に基づいた暴言をやめられずにいる。
大統領が口にした「Fワード」 4月5日はイースター(復活祭)だった。キリストの復活を祝う、キリスト教徒にとって非常に重要な祭日だ。春の訪れを祝う日でもあり、かわいいウサギをシンボルとし、カラフルに塗ったタマゴを子供たちが探すゲームが行われる。
そんなイースター・サンデーの朝8時(現地時間。以下同)にトランプが自身のSNS、トゥルース・ソーシャルに行なったポストは誰にとってもショッキングだった。
〈「火曜日はイランにおいて発電所の日であり、橋の日でもある、全てが一度に起こる日となる。これほどの日は他にない!!! このクレイジーなクソッタレども、ファッキン海峡を開けろ。さもないと地獄で生きていくことになるぞ――見てろ!アッラーに栄光あれ。ドナルド・J・トランプ大統領」〉
米軍がイランの発電所と橋、つまりインフラを一斉攻撃するという脅しだが、その内容以上にトランプの言葉遣いに誰もが驚いた。
・Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)
・you crazy bastards(クレイジーなクソッタレども)
・you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
翻訳
Open the Fuckin’ Strait(いまいましい海峡を開けろ)
you crazy bastard(お前は、気が狂った嫌なヤツだ)
you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
・・国家の大統領としては 品格が落ちる表現だが、男なら誰でも「喧嘩相手を罵る表現」
何処も不適切な発言ではない・・翻訳の仕方が違い「不適切な表現」にしている
人間は「落ち目」になると「寄ってたかって」 散々 非難される
Open the Fuckin’ Strait・・・Fuckin’ とは、Fuckining の事で ing を省略したのが
コンマ(’)を付けた、Fuckin’ で 意味は「忌々しい」、と言ったように 語気を強めるために使う用語で
Strait とは 海峡のことで
このいまいましい閉じられた海峡を さっさと開けろ=! といういう意味
それを ある識者が
Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)・・性的に閉じられた海峡を開けろ!
つまり 女性の閉じられたアソコを開けろ と言う具合に翻訳
米人が 喧嘩相手を罵る英語
ファッ、キュー ・・Fuck you!
「huck you 意味」
huck you は英語の本来の表現ではなく、多くの場合 fuck you(「くたばれ」「ふざけんな」などの強い悪口)の F を打ち間違えたもの、
あるいは放送コード・検閲回避のために F を H に置き換えた婉曲表現として使われます。
したがって意味も、ほぼ同じ強い侮辱表現と考えてください。
核心が、まだ分からない識者
見出し・・織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料 元亀2年(1571)9月、織田信長は比叡山焼き討ちを決行した。この出来事は、信長が宗教を否定した象徴的な事件として広く知られている。
しかし、信長は本当に無神論者だったのだろうか。比叡山焼き討ちは、単なる宗教否定の行動だったのか。本稿では史料をもとに、その実態を改めて考えてみたい。
信長による比叡山の焼き討ち 信長の軍勢が坂本・堅田付近に放火を開始すると、一斉に比叡山へ攻め込んだ。その様子は、『信長公記』に詳しく描かれている。死者の数は、フロイスの書簡には約1500人、『信長公記』には数千人、『言継卿記』には3000~4000と記されており、数には差がある。
いずれにしても、相当数の人々が亡くなったことは間違いない。坂本周辺に居住していた僧侶や住民たちは、日吉大社の奥宮の八王子山に立てこもったが、信長の軍勢によって焼き殺された。
比叡山焼き討ちはどう理解されてきたのか これまで信長による比叡山焼き討ちは、どのように理解されてきたのだろうか。天台宗の比叡山延暦寺は、中世を通して宗教的権威として畏怖され、ときの権力者は公家・武家を問わず、容易に手出しできない存在であった。
しかし信長は、その中世的権威を否定すべく焼き討ちを実行したと考えられてきた。こうした理解から、この出来事は信長の革新性や無神論的性格を示す象徴的な事件として、長く評価されてきたのである。
では、当時の人々はこの焼き討ちをどのように受け止めていたのか。山科言継(ときつぐ)の日記『言継卿記』には、「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」とあり、この行為を厳しく非難している。
仏法とは仏教のことであり、王法とは政治や世俗の法、慣行を意味する。言継は、信長の行為をきわめて批判的に捉えていたのである。
信長が見た比叡山の実態とは何か 一方で、信長自身はどのように考えていたのだろうか。当時の比叡山延暦寺の様子について、『信長公記』には次のように記されている。
山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行体、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賄いにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く。
この記述を見る限り、比叡山延暦寺の僧侶らは本来の責務を果たさず、放蕩三昧の生活を送っていたと認識されていたようだ。こうした状況は、『多聞院日記』(興福寺塔頭多聞院英俊の日記)にも、修学を怠っていた様子が記されている。
さらに比叡山延暦寺は、信長に敵対する朝倉氏・浅井氏に与同したという。結論として、こうした僧侶らの不行儀と敵対行動こそが、比叡山焼き討ちの原因であったと考えられる。
信長は事前に「最後通告」を行っていた 前年の元亀元年、朝倉氏・浅井氏と戦っていた信長は、比叡山延暦寺に対して次のように通告していた(『信長公記』)。
1.信長に味方するなら、山門(比叡山)領を返還すること。
2.一方に加担せず、中立を保つこと。
3.これらを受け入れない場合、根本中堂を焼き払うこと。
しかし、比叡山延暦寺の衆徒は明確な回答をせず、最終的には朝倉氏・浅井氏に味方した。信長は自らの申し出が受け入れられなかったため、比叡山焼き討ちを決意することになる。
ここで重要なのは、信長が仏教そのものを否定したわけではないという点である。問題とされたのは、僧侶が本分を忘れ修学を怠り、さらに信長に敵対する勢力に加担したことであった。
「信長=宗教否定」は本当に正しいのか 信長による比叡山焼き討ちは、仏教の否定や宗教的権威の破壊を意味する出来事として理解され、信長が無神論者であったことの証拠とする見方が広く流布してきた。
しかし実際には、信長に宗教そのものを否定する意図があったとする確かな根拠は見出しにくい。むしろ、敵対勢力に与同した武装勢力としての比叡山への軍事的対応と理解する方が、史料の内容には即している。
いまなお「信長は宗教を否定した人物である」という説は広く知られているが、それは必ずしも史料に基づいた理解とはいえない。比叡山焼き討ちの実像を正しく捉えるためには、従来のイメージだけでなく、史料の内容を丁寧に読み直す必要があるだろう。
発砲男は アラブ系イスラム教徒の可能性
キリスト教米国とイスラム教アラブは 昔から敵対関係
見出し・・米記者団夕食会銃撃事件の容疑者、犯行10分前に家族へ声明文…トランプ氏殺害を示唆
米ワシントンDCのホテルで開かれたホワイトハウス記者団夕食会会場で発生した銃撃事件の容疑者、コール・トーマス・アレン。[フェイスブック キャプチャー]
アレン容疑者は「もし絶対的に必要であれば、行事参加者の大半は小児性愛者、強姦犯、反逆者の演説に出席することを『選択』したのだから共犯に当たるという前提で、ほぼすべての人を押しのけてでも標的に接近する」とし、「ただ、そのような状況にならないことを願う」と記した。数百人の会場参加者に対しても敵意を示し、潜在的な攻撃を正当化した形だ。
アレン容疑者は、自身の犯行に対して予想される批判と、それへの反論もあらかじめ文書に盛り込んだ。彼は自身の犯行については、「キリスト教徒として(誰かがあなたの片方の頬を打てば)もう一方の頬を差し出すべきだ」という反論が出る可能性があるとし、「もう一方の頬を差し出すのは、自分が抑圧されている時だ」と反論した。続けて「私は、収容所で強姦された人、裁判もなく処刑された漁師、爆撃で死亡した学生、飢えた子ども、この政権の数多くの犯罪者に虐待された10代少女でもない」とし、自身は直接的被害者ではないとしたうえで、「他の誰かが抑圧されている時に、もう一方の頬を差し出すのはキリスト教徒の行動ではない。それは圧制者の犯罪に加担することだ」と主張した。
トランプ大統領は26日、FOXニュースのインタビューで、「彼の声明文を読めば、彼がキリスト教徒を憎んでいることは明らかだ」とし、「彼は長い間、心の中に深い憎悪を抱いていた。それは宗教的な問題だった。強い反キリスト教的傾向を示していた」と語った。
アレン容疑者は声明文で、今はこのようなことを行うのに適切な時期ではないという批判があり得るとし、「誰かが強姦されたり殺害されたり虐待されたりするのを目撃した時、被害者ではない人々にとって『不快』かもしれないという理由で、そのまま通り過ぎるべきだと思うのか」とし、「私が思いつく限り最善のタイミングであり、成功の可能性が高い機会だった」と主張した。
歴史の無知な識者
>織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
・・・現代社会は 金や物の「物質世界」だが 昔は 今より遥かに「純朴」で現代のように「学問」が発達していない時代
「運命は神頼み」で、戦国の武将は戦いで「勝利するよう神頼み」で「信仰心に篤かった」
因みに歴史家・井上鋭夫の著書「上杉謙信」では 謙信は生涯、70戦、戦ったといわれ
戦いに際し「鶴岡八幡宮』に祈祷文を奉納していて 今も上杉神社に残されている
織田信長の「先祖」は、越前の織田神社(剣神社)の神官で「信仰心に篤い武将」
ところが 比叡山の僧侶たちは 色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し、遊女を「蓮の花」と称し 傲慢に振る舞い「戦闘軍団化」していて
僧侶ではなく酒を飲み 遊女と交わっていた「破戒僧」どもで「生臭坊主」どもは 仏教の僧衣を着た「偽僧侶」として
比叡山の「仏閣」を悉く焼き払い 比叡山の生臭坊主(破戒僧)どもを皆コロし したのが「比叡山焼き討ち」
甲斐の「武田信玄」も 諏訪大社を「勝利に導く神社」として信仰していた武将
だから織田信長が 比叡山の僧侶どもを皆コロし、する「比叡山焼き討ち』に際し
家臣の 真田昌幸に「天台座主・曼珠院門跡覚恕」の救出を命じ 真田昌幸が無事救出したため
天台宗が破滅せず生き残る
戦国の武将たちは 戦いで 死ぬか生きるかの運命で 信仰は篤かった
人民、思いでない日本の政治家
自分の「保身ばかり重要視」人民の事など軽視
先般 自衛隊の戦車が爆発、犠牲になった3人の自衛官の葬儀に、高市総理は参列しなかったと言う
この人民軽視は 高市が 立身出世で裏金議員まで味方に付け「自民党総裁」になり、さらに最高指導者の総理大臣になるため 自民党最大派閥の麻生太朗を取り込み「総理大臣」に就任
高市は「自分の保身と国際社会から評価」される事しか頭にない女
だから米トラから、評価される為「ゴマすりの太鼓持ち」
ところが 日本人民の大多数は「マゾ」で 70%のマゾ日本人が支持
見出し・・・戦車事故殉職者の葬送式に首相参列せず、米山隆一氏が批判「理解できません」 投稿に波紋、過去にも首相参列なしの例
中道改革連合の米山隆一前衆院議員が、大分県・日出生台演習場で訓練中に戦車内で砲弾が破裂して亡くなった3人の自衛官の葬送式に、高市早苗首相が参列しなかったことについて、「理解できません」と意見した。過去にも首相が参列しなかった例はあり、米山氏の投稿には波紋が広がっている。
■「自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
高市首相は26日にXで、同日に陸上自衛隊玖珠駐屯地(大分県玖珠町)で葬送式が行われたことを報告。「内閣総理大臣として、衷心より哀悼の誠を捧げます」とした。一方、各社の首相動静によるとこの日は終日公邸で過ごしていたとあり、葬送式に参列はしていないようだった。
なお、小泉進次郎防衛相は参列したことを自身のXで報告している。
米山氏はXで、高市首相が葬送式に参列しなかったことに言及。「勿論、公務の優先順位はあります。全てに出る必要があると言う事ではありません」としたうえで、
「特段の公務がないにも関わらず、自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
と意見した。
この投稿には同意を示す意見が寄せられた一方、首相が殉職した自衛隊員の葬送式に参列しなかった例は過去にもあったとして、「全ての公務員の葬儀に総理が出るって現実的じゃないでしょう」「葬送式では防衛大臣が出席されてます」「高市さんが嫌いだからって難癖は付けないで欲しい」といった声も寄せられた。
例えば岸田文雄元首相は、23年6月10日に行われた、陸上自衛隊のヘリコプター事故で犠牲となった自衛隊員の10人の葬送式には参列している一方で、参列しなかった葬送式もある。24年6月22日と30日に行われた海上自衛隊の哨戒ヘリコプター2機の衝突・墜落事故で殉職した計8人の葬送式には、当時の防衛相・木原稔氏は参列したものの、岸田氏は参列していない。
自衛隊の戦車爆発で犠牲になった3人の自衛官が「昇格」
見出し・・・死亡隊員3人が特別昇任 陸自戦車事故共同通信
大分県の日出生台演習場で戦車の射撃訓練中に砲弾が破裂した事故で、防衛省は27日、死亡した陸上自衛隊の隊員3人をそれぞれ1階級特別昇任させたと明らかにした。昇任は死亡が確認された事故当日の21日付。
・・・これは「軍隊では当然」の形式
どの国の軍隊も同じで「階級制度」があり
1)最前線で敵と戦う兵隊が「最下位」の兵士
2)兵隊を指導する軍人が「伍長」
3)この伍長を指揮する軍人が「軍曹や曹長」
4)この軍曹・曹長を指揮する階級が 大尉・中尉・少尉
5)この大尉・中尉・少尉を指揮する階級が 大佐 中佐 少佐
6)この大佐 中佐 少佐を指揮する階級が 大将 中将 少将
軍隊の最高トップは 大将
このような階級制度に成っていて 国のため殉死すれば 階級が昇格する仕組みになっっていて
今回 戦車で死亡した自衛官3名は 国のため殉死したとして昇格
しかし高市総理は 軍隊に無知で 葬儀に参列してない
自衛隊とは何か?
太平洋戦争で1945年 日本は米国に「敗戦」 その為 戦勝国の「米国」が「日本を統治支配するため
米国GHQ(進駐軍)が 日本を統治支配する
しかし 日本人民にとって太平洋戦争で「鬼畜米兵」と呼んでいた米軍の進駐軍が 日本を統治支配したため
日本人民が 米国の進駐軍(米国GHQ)に反乱 治安が乱れてしまう
そのため米国GHQが「日本の治安を治める」為「警察予備隊」を設立
ところが 1950年 共産主義勢力が資本主義の米国が建国した「韓国」を侵略したため
資本主義の米国が「共産主義の拡大」を「防衛」するため1952年 日米同盟 日米安全保障条約締結
そのため「警察予備隊」が 共産主義を「防衛」する「自衛隊」になる
しかし 日本国憲法第9条で「日本は恒久的に戦争放棄の条文」
だから 自衛隊は「軍隊ではない」
ところが「高市総理」は 米トラに「ゴマすり」で、憲法第9条を 改正しようとしている
つまり 自衛隊を軍隊化しようとしている
だから 中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
高市総理は 自己矛盾しているが単純なので それも自覚できない
だから 自衛官の葬儀にも参列しない、自己矛盾も分からない
中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
この「理由」
日本は 明治時代「軍国主義」の国家になり 昭和時代の1937年「盧溝橋事件」を契機に
何の罪もない 中国を 一方的に「侵略」
だから、中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している理由
日本は軍国主義に戻るのか 参考
日本は「新型軍国主義」と批判 中国、秩序挑戦者と定義か
「新型軍国主義」という言葉を用いた評論を掲載した、中国共産党機関紙、人民日報
中国が「新型軍国主義」という言葉で日本を批判し始めた。
中国専門家は「戦後国際秩序への挑戦者として日本を再定義する動きだ」と分析。
18日に発足する第2次高市政権が憲法改正に向けた議論や防衛力増強を加速させることを中国は警戒しており、
対日対抗措置を念頭に置いた「ストーリー作り」の一環との見方も出ている。
『新型軍国主義』は日本を再び深淵に引き込む」。1月9日付の中国共産党機関紙、人民日報は「鐘声」というペンネームで国際論評を載せた。
鐘声の署名論評は習近平指導部の対外認識を示すとされ、同論評が新型軍国主義という言葉を使用したのは「これが初めて」
論評は「日本の右翼が侵略の歴史を否定し、非核三原則を見直し、平和憲法から離脱することを望んでいる」と高市政権を批判。
「新型軍国主義の執念に基づき日本を改造しようとしている」と主張した。
人民日報は同27日付紙面にも「日本の『新型軍国主義』を食い止めなければならない」との論評を掲載した。
自己矛盾に満ちている「高市総理」
この自己矛盾に気付かず「相対性理論」を構築した物理学者が 20世紀最大の理論物理学者アインシュタイン
アインシュタインは 自分の「自己矛盾」に気付かず 相対性理論を構築
しかし この理論は自己矛盾しているので 100年経った現在でも「正しさが立証されていない」
アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞したのは 相対性理論ではなく「光量子仮設」
つまり 20世紀最大の物理学者アインシュタインは 自己矛盾して相対性理論を構築
高市総理も「自己矛盾」していて 憲法第9条 改憲
だから自己矛盾している高市総理を・・中国政府が 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
知略がない米トラ政権
イランから振り回されているじじころじいさん 日本の高いちんころ政権は、米トラに振り回されている万ころばばさん
戦争すれば 中国の知略に歯が立たない 日本識者は田舎のチンドン屋
見出し・・・「アメリカ全体がイランに屈辱をうけている」ドイツのメルツ首相が痛烈批判 「控えめにいっても軽率だ」
ドイツのメルツ首相は27日、アメリカのイラン戦略について、「控えめに言っても軽率で国全体が屈辱を受けている」と批判しました。
メルツ首相は27日、自身の選挙区で学生たちに向けて講演し、イラン情勢をめぐるアメリカの対応について、「明らかに戦略がない」と指摘しました。
また、紛争における出口戦略の重要性について、「アフガニスタンやイラクで、私たちはそれを痛ましく経験した」と述べたうえで、「一連の出来事は、控えめに言っても軽率だ」と批判しました。
一方、イラン側については、「非常に巧みに交渉している。あるいは、巧みに交渉しないことで、アメリカ側をイスラマバードまで行かせたにもかかわらず、何の成果もなく帰らせている」との見方を示しました。
さらに、「アメリカという国全体が、イランの国家指導部、とりわけ、いわゆる革命防衛隊によって屈辱を受けている」と述べました。
メラニン色素ばばさんのもだえ あえぎ脱糞
見出し・・・メラニア夫人がABC司会者の処分を要求 侮辱発言を「憎悪的で暴力的」と批判 トランプ大統領も「明らかに度を超えている」
トランプ大統領の妻メラニア夫人は27日、ABCテレビに対し、番組の司会者が自身を侮辱する発言をしたとして、処分を求めました
核心がハッキリ分かってない識者
明知光秀が「本当に善人だったのか?」 そんな事は学生時代に言うセリフ
見出し・・・明智光秀は本当に「善人」だったのか?比叡山焼き討ちに積極関与した証拠と 織田信長による比叡山焼き討ちは、戦国史の中でも特に衝撃的な出来事として知られている。一般には信長の苛烈な行動として語られることが多いが、その裏側では家臣たちも重要な役割を担っていた。その中でも注目すべき存在が、後に本能寺の変を起こす明智光秀である。
実は光秀は、この比叡山焼き討ちにおいて積極的な役割を果たしていた可能性が高い。いったい光秀はどのように関与していたのか。その経緯を史料からたどってみたい。
比叡山焼き討ちへと至る緊迫の情勢 元亀2年(1571)2月、浅井氏の家臣で佐和山城(滋賀県彦根市)を守備していた磯野員昌が、突如として織田方に寝返った。佐和山城は美濃と近江を結ぶ交通の要衝であり、この離反は浅井氏にとって大きな打撃となった。
信長は磯野氏の代わりとして、家臣の丹羽長秀を佐和山城に配置した。同年5月、信長は長島の一向一揆と戦ったものの、意外にも敗北を喫している。その一方で、顕如の子・教如と朝倉義景の娘との縁談が成立し、反信長勢力の結束は強まりつつあった。
同年8月、信長は浅井氏を攻めるため出陣し、さらに金森(滋賀県守山市)まで軍を進めた。ここは近江一向一揆の拠点であったが、最終的に一向一揆側は降参し、人質を差し出すこととなったのである。
和睦を拒み続けた比叡山の強硬姿勢 こうした情勢の中で、比叡山延暦寺もまた反信長の姿勢を鮮明にしていった。もともと比叡山は信長との和睦に消極的で、交渉への返答も滞りがちであった。交渉を担当していた二条晴良は憤慨し、信長自身も同様の不満を募らせていたと考えられる。
信長は比叡山が要請に応じないことに加え、いちおう和睦が成立したものの近江から撤退せざるを得なかった無念を晴らそうと考えた(『信長公記』)。こうして決断されたのが、後世に悪名高い比叡山焼き討ちであった。
光秀は裏方ではなかった―土豪調略という重要任務 比叡山焼き討ちに際し、明智光秀は単なる従軍者ではなかった。同年9月2日、光秀は和田秀純に宛てて書状を送っている(「和田家文書」)。和田氏は、宇佐山城からほど近い雄琴(滋賀県大津市)の土豪であった。
秀純は近隣の土豪である八木氏とともに光秀に味方することを約束し、鉄砲や弾薬の補給を受けたうえで仰木(同大津市)の攻略にあたることになった。これは、焼き討ち作戦の周辺地域を制圧するための重要な準備であったとみられる。
さらに信長は志村城(滋賀県東近江市)を攻略し、その後は長光寺(滋賀県近江八幡市)に全軍を結集する計画だったという。光秀は近江の土豪を調略する任務を担っており、この作戦の進行に深く関与していたのである。光秀が焼き討ちに積極的に関わっていた可能性は、こうした史料からも読み取ることができる。
焼き討ち後に待っていた光秀の大出世 比叡山焼き討ちが行われた後、信長はただちに家臣たちへ恩賞を与えた。光秀には志賀郡が与えられている。志賀郡は現在の大津市域の大部分を占め、比叡山の東麓に位置する重要な地域であった。
光秀が坂本城を築いたのも、この比叡山麓の坂本である。坂本は山中越えによって京都の白川へ至る交通の要衝であり、軍事・政治の両面で極めて重要な地点だった。つまり、この所領付与は単なる恩賞ではなく、信長からの厚い信任を示すものだったといえるだろう。
明智光秀
日本人は学者でも「理解力に乏しい」
「幕府」とは「最大の力ある権力者」が「征夷大将軍」となり 日本全土を「支配」し 「他の武将たち」が征夷大将軍に屈服し 征夷大将軍が支配する「全国の領土」を忠誠を誓う武将に
分割して委ね「藩」とし「藩主」となる この藩主が「大名」
諸藩の 藩民たちは 藩主(大名)を「殿様」と呼び 諸藩の大名たちは征夷大将軍を「上様』と呼び忠誠を誓っていた
この上様(征夷大将軍)をサポートする役職を「幕閣」と言い
現在では上様(征夷大将軍)に相当するのが「総理大臣」で 総理大臣をサポートする役職が「内閣」
「幕府」とは 上様(征夷大将軍)と幕閣が「幕府」
現代では 総理大臣と 内閣が「政府」
幕府=政府
つまり征夷大将軍(上様)が最高権力者となった中央政権が「幕府」
室町幕府は 足利尊氏が初代の征夷大将軍となり、足利尊氏の子孫たちが累代の「足利征夷大将軍」
だから 各地の「武将・大名」は「幕府の征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
明知光秀も武将として 越前の大名「朝倉義景」も 近江の大名「浅井長政」も「室町幕府」の足利征夷大将軍に「忠誠を誓っていた」
しかし 諸行無常・栄枯盛衰は世の習いで 室町幕府は 11代足利義輝・征夷大将軍の頃から、次第に衰退に向かう
幕府が「衰退」すれば 当然の成り行きで「諸藩の大名」は自分が「天下人」に成り。日本を支配したい」と思うのが当然で
三河の大名「織田信長」が 天下を取るため 足利征夷大将軍を「手玉に取り操り」室町幕府を「支配」するため
趙高が 秦王朝を支配するため「胡亥」を2代目皇帝に擁立 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝」を支配したように
織田信長も室町幕府を支配するため 15代征夷大将軍に「足利義昭を擁立」
足利義昭を「手玉に取り」利用
ここで「明智光秀」は 室町幕府の足利征夷大将軍に「忠誠」を誓っていたが「幕府零落」
零落している幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓うより 天下人を目指し 室町幕府の支配を目指す「織田信長」に仕えた方が立身出世できるので「織田信長」の忠臣になる
明智光秀は 知略ある武将で 比叡山焼き討ちでも、羽柴秀吉 柴田勝家より多くの戦功を上げ織田信長の「直臣下」になる
ところが 足利義昭・征夷大将軍は 織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので 織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に
織田信長を「討ち取る」よう命じる
その為 幕府の足利義昭・征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の首を討ち取ろうとする
ここで 足利義昭・征夷大将軍の「忠臣」朝倉・浅井は「比叡山」を味方に付ける
そのため 比叡山は織田信長の「敵」に成り、織田信長が「比叡山焼き討ち」
さらに姉川の戦いで 幕府・足利義昭征夷大将軍の忠臣。。浅井・朝倉を「滅ぼし」
室町幕府を「滅亡」 安土桃山時代を築く
ここで 織田信長の忠臣になっていた「明智光秀」は 元々 幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓っていたので
幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓い 主君の織田信長を「討ち取るべきか」
それとも主君・織田信長に忠誠を誓うべきか 迷うことになり 自分が 天下人になるため本能寺の変で織田信長を攻め 明知光秀が天下人になる
ところが織田信長の忠臣、羽柴秀吉が 天下人になるため 天下人になった明智光秀を成敗
天下人豊臣秀吉になる・・栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常
、
比叡山焼き討ちで 一番 貧乏くじを引いた武将
答えは明白 明智光秀が 一番 困った立場になる
ある識者が 4ページに渡り解説・・1ページと 3ページ転載
見出し・・1ページ・・油断した延暦寺でも、激怒した信長でもない…比叡山焼き討ちで「最も損な役回り」を強いられた戦国武将の名前
NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が比叡山を焼き討ちするよう命じる、大河ドラマの定番シーンが描かれた。信長の冷酷ぶりを表すエピソードだが、最新研究からは違った側面が見えてきたという。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
【画像をみる】最も損な役回りだった戦国武将
■“焼失”したのは根本中堂と大講堂のみだった
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第15回(4月19日放送)は朝倉・浅井連合軍との一大決戦である姉川大合戦が描かれた。そして、第16回(4月26日放送)はついに来た、タイトルは「覚悟の比叡山」。藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)は浅井方の宮部継潤(ドンペイ)の調略を行っている一方で、信長(小栗旬)は、織田に従わないなら寺を焼き払えと光秀(要潤)に命じたのである。
いよいよやってきた、信長の見せ場比叡山の焼き討ち。時に1571(元亀2)年9月12日のことである。
さて、この比叡山焼き討ちのステレオタイプなイメージはこうである。
信長が焼き討ちを命じる→光秀がそれはまずいと説得→信長が応じず「比叡山、焼き払うべし‼」→僧侶から避難していた女子供まで皆殺し……。
しかし、研究によって現実の焼き討ちはこうではなかったということが明らかになっている。戦後になって、比叡山では発掘調査が本格的に実施された。その結果、明確に信長の比叡山焼き打ちで焼失が指摘できる建物は、根本中堂と大講堂のみで、ほかに見られる焦土層は、焼き討ち以前に廃絶していたものが大半だということが明らかになった。
■「全山大虐殺」はまったく過去のもの
こうした調査結果をもとにした兼康保明の「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(『滋賀考古学論叢』第1集、1981年)では、「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」としている。
信長研究の大家であった谷口克広『信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年)では、殺戮が八王子山(別名:牛尾山、日吉大社の北側の位置に聳えるご神体のお山)を中心として行われたとしており、長らくイメージされていた「全山大虐殺」はまったく過去のものとして考えられるようになっている。
そもそも、信長が比叡山に怒り狂うまでには、それなりの経緯がある。
発端は信長による比叡山の寺領横領だった。つまり最初にケンカを売ったのは信長側である。これに怒った延暦寺は朝廷に訴え、朝廷から寺領を返せという綸旨まで出たが、信長は無視した。
こじれた関係の中で1570年、浅井・朝倉連合軍が比叡山に立て籠もった。信長は包囲したものの、四方から敵に囲まれる形になり、結局は天皇の調停で和睦するしかなかった。この「志賀の陣」の最中には弟・信治が浅井・朝倉勢に討たれている。
3ページ目
■光秀は“信長の本気度”を見抜いていたか
信長と延暦寺の関係は、まさにこれだった。延暦寺は「また難癖をつけてきた権力者」への慣れた対処法で臨んだ。黄金を贈って、頭を下げて、うまく丸め込めばいい。これまでも何度もそうやってきた。
しかし両者には、周囲の常識が通じない共通点があった。メフメト2世は「千年間誰も落とせなかった。当然だ。俺がいなかったから」という厨二病全開な思春期(当時21歳)。信長もまた、身内に手を出されると損得勘定が消える男だった。弟・信治の死は、信長にとって「舐められた」ではなく「やられた」だった。そうなると、もう止まらない。
しかし‼ ここに一人だけ「あ、これはもうダメだ」と察していた男がいた。明智光秀である。
光秀は比叡山東麓の宇佐山城を任されていた。最前線で信長の動向を逐一把握していた男だ。そして能力が高いということは、見たくないものまで見えてしまうということでもある。
信長は本気だ。これは止まらない。
光秀にはそれが読めた。だから同僚たちに言って回ったはずだ。古参の重臣・柴田勝家にも、筆頭家老格の佐久間信盛にも。「上様、本気で焼きますよ」と。
■「焼き討ち前」に情報を伝えた光秀
返ってきたのはこんな反応だっただろう。
「ほう、新参者の割にはよく上様の心中を読めるものだな(笑)」 「まあまあ光秀殿、書物の読みすぎじゃないですか。戦場は理屈通りにはいきませんよ」 「光秀殿、上様が本気かどうかは俺が一番わかっとる。あそこは攻めん。攻めれんわ」
と、こんな感じに「光秀殿はまあ……頭はいいんだけどな。融通が利かんというか、なんというか」とばかりに、本気にされなかったのだろう。
こうなったら自分で動くしかない。光秀は焼き討ちが不可避と判断し、粛々と準備を始めた。焼き討ちの10日前、光秀は地元の土豪・和田秀純に書状を送っている。
この有名な文書である「仰木之事ハ是非共なてきりニ可仕候、頓而可為本意候」。つまり、仰木のことは是非とも皆殺しにする、すぐにそうなるだろう、とある。後世この一文だけを取り出して「光秀は積極的に虐殺を望んだ」と読む向きもあるが、この書状をよく読むと、同時に信長の出陣日程を正確に和田に伝えている。また8月2日に和田に送った書状では、芦浦観音寺に「18日に信長が動く」という事前通知していたこともわかる。
和田光生「比叡山焼き討ちと天正の復興 明智光秀の果たした役割」(『成安造形大学附属近江学研究所紀要』第11号、2021年)は、この書状を丁寧に読み解き、光秀が焼き討ちを前提として周辺の土豪を懐柔し、綿密な事前準備を進めていたと指摘している。
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東京都が「日本の中央集権」で財源が豊富
その為、高市総理 片山財務大臣 小池都知事のそれぞれに考え
見出し・・・高市・片山・小池 3人の女性トップリーダーが抱く共通の危機感 “カネの移し替え”対立に変化の兆し
これまで、地方税財政をめぐって国と東京都は長く平行線をたどってきた。東京都は、都内で生み出された税財源が地方に再配分される現行制度について、「何に使われ、どんな効果があったのか見えにくい」と問題提起し、国側は「偏在是正」の必要性を訴えてきた。対立の軸は一貫して“カネの移し替え”だった。
◆異例…財務大臣が都庁を訪問
ところが、東京都と国の関係に、これまでとは少し違う空気が流れ始めている。
4月20日、片山財務大臣が自ら都庁に足を運び小池知事と面会。財務大臣が都庁を訪問するのは、異例のことだ。
「限られたパイを取り合うというような、内向きな議論の先には我が国の未来はありませんね」
面会では、まず小池知事が改めて問題意識を示した。
そして、東京都から他道府県に配分される資金について、「地方の財源が真に増えているのかどうかよくわからない」「資金が何に使われているのか、その実態がよく見えない」「どのような効果が出ているのか分からない」と3点を指摘した。
さらに、東京から年間1.6兆円、累計12.6兆円超が地方に配分されたことに触れ、「都民や事業者、タックスペイヤーの皆さんに説明がつかない」と率直に語った。
単に“東京の取り分を返せ”という話ではなく、今の制度が地方の自立や成長につながっているのかを、政策効果の面から問い直したのである。
とはいえ、取材では記者から「わざわざ大臣がいらっしゃるということの意味」を問われ、「都とそして国、なかでも財務省の皆さんと連携ができるということは非常に大きいことです」と歓迎の意を表した。
その一方で片山氏も、国と東京都の協議会に触れたうえで、「東京都が日本の成長を牽引していただくように、ぜひ取り組みを進めてまいりたい」「(東京都の政策課題は)我々の成長戦略と地域未来戦略と、軌を一にしてこそ、爆発的な力がある」と応じた。
◆高市総理・片山大臣・小池都知事 3人共通の危機感とは
面会後、小池知事は報道陣に対し、「これまで通りの方式を取っていてよろしいんでしょうか」と問いかけたうえで、「このまま、ズルズルとさらに力が弱くなって、世界の中でその存在が薄れ、忘れかけられているということを皆さんお望みでしょうか。『どこかで大きく変えていきたい』と高市さんもそう思っておられる。片山さんもそうです。私もそう思っています。是非こういう形で、今の日本の危機的な様々な状況は一つひとつきっちりと、そして大胆に前へ進めるべきだと、このように強く思っております。」と述べた。
◆実は「初めて」 総理と都知事の協議会
また、“新たな空気感”は、国と東京都の協議会でも感じられる。
4月10日の初会合には、高市総理と小池知事、両トップが出席。
「日本経済の中心地であるグローバル都市東京が、更なる発展を遂げることは、『強い経済』の実現に向けて、必要不可欠でございます。」高市総理がこう切り出すと、小池知事も「強く豊かな日本、東京へ、しっかりと歩みを一にしながら進めていただければと思います」と応じた。
都の幹部らも、「これまで事務方での協議はあったが、(総理と都知事という)政治家同士が日本の成長を一緒に考える協議会は初めてだ」と話し、国との関係性の“変化”を感じている様子だった。
◆「うらやましい」を全国実装に
官邸での会議から7日後、小池知事の姿は、国会議員会館にあった。
「出生数でございますが、10年ぶりで出生数が通年でプラスに転じていく、日本人の出生数でございます」
小池知事は超党派の「産前産後の母体に対するケアを通じて包括的に女性支援を考える議員連盟」に講師として招かれ、都の少子化対策を説明していた。
東京都は、「シームレス(=切れ目なく)」を合言葉に、出会い・結婚支援から不妊治療、卵子凍結、無痛分娩、伴走型相談支援、家事育児サポーター派遣、産後ケアまで、妊娠前から産後まで支援を縦につなげる政策を進めてきており、東京都内の2025年の日本人出生数は11月までの累計で前年同期比0.7%増となり、10年ぶりに増加へ転じることが確実とみられている。
産後ケア議連は設立時から、産前産後ケアを起点に女性の健康を生涯にわたり支える基盤づくりを目指すとしてきた。産前産後の女性の9割超が腰痛などの身体トラブルを抱えながら、受診は15%にとどまるという実態や、助産師や理学療法士を含む多職種連携の重要性を指摘、中間報告案では、産後の休息や回復を「自己責任」にしない制度設計を訴えている。
東京都のシームレス実現と近い動きといえるだろう。
会場内からは「東京都がうらやましい」との声が上がったが、東京都の施策を“東京だけができる”で終わらせず、国が制度化し、地方で実装しやすい形にできるかが問われている。
◆対立ではなくシームレスで日本を強く豊かに
これまでの「偏在是正」は、東京から地方へお金を回すことで成り立ってきた。しかし、それだけで地方が強くなったのか、住民の納得が得られているのかという問いは残ったままだ。
いま必要なのは、東京と地方を対立させる発想ではなく、東京で芽吹いた政策を国が受け取り、全国にシームレスにつないでいくことではないか。
片山財務大臣の都庁訪問、国と東京都の協議体、そして小池知事自ら国会議員らと重ねる意見交換は、その入り口だ。
国と東京都の連携を、形式的なものではなく、実質的なものへ変えていけるのか。その結果、日本全体を“強く豊かに”できるのか、今、政治に問われているのは、まさにそこではないか。
日本は「東京が中央集権」で「財政が豊富」
地方は「財政難」の国 この経緯を投稿
徳川家康が「天下人」になり「征夷大将軍」となり 江戸の町に「江戸城」を築城
徳川家康は この江戸城を「居城」とし
日本全国に 300近くの「藩」を設ける・・福岡藩 薩摩藩 鍋島藩、長州藩と言ったように全国に300近い「諸藩」を設ける
この諸藩の「藩主」が「大名」で 領民たちは、藩主(大名)を「殿様」と呼び
諸藩の大名は 江戸の徳川征夷大将軍を「上様」と呼び 諸藩の大名たちが 上様に「忠誠を誓っていた」
だから上様がいる「江戸」が「中央集権」で 日本の諸藩の大名たちを支配していた
この徳川征夷大将軍(上様)をサポートする役職が「幕閣」で 現在の「内閣」 この内閣の一人が 現在の「片山財務大臣」
この「江戸の上様」が 現在・「東京(江戸)が中央集権」となっている「総理大臣(現在の高市総理大臣)に「相当」
これは 徳川幕府を倒し「明治政府」になり 明治政府は「江戸幕府を倒した」ので徳川征夷大将軍が 日本全国の中央集権だった「江戸」を「東京」に改名
徳川幕府の「諸藩」を廃止 日本全国を「都道府県」にする「廃藩置県」
諸藩の「大名」が、現在の「都道府県」の「知事」に相当
このうち「東京都」には 中央集権の国会が存在する「東京の霞が関」がある
だから当然の成り行きで 中央集権の国会(東京都千代田区の霞が関)は 東京にあるので 東京都には「各企業の本社」が集結 人民が集結
日本最大の経済都市になり 東京都には わんさか、税金が納税され 東京都は 日本一財源が豊富
しかし 地方の県は「財源不足」そのため財源が豊富な東京都の財源が 地方に配分されているので
「内閣の片山財務大臣」と「東京都の小池知事」が「財源を巡り会談」
これは すなわち 中央集権で日本を統治支配する「高市総理大臣」の問題
問題の「核心」が分からない日本人識者
4ページにも及ぶ ぐだぐだ解説
見出し・・4ページの1ページ目・・信長は比叡山に突然キレたわけではない…「焼き討ち」前年、8人の子を遺して宇佐山城を死守した忠臣の名前
森可成が織田信治の遺体を背負って戦う様子を描いた、落合芳幾画「太平記英勇伝 七十六:森三左エ門可成」(東京都立図書館所蔵)
「豊臣兄弟!」(NHK)で描かれる信長最大の暴挙ともいわれる「比叡山焼き討ち」。古城探訪家の今泉慎一さんは「その前年、比叡山と組んだ浅井・朝倉軍を食い止めるため、信長の家臣が30分の1の兵力で立ち向かい、戦死したという事件が起きた」という――。
【図表をみる】宇佐山城・比叡山延暦寺の位置
■信長vs比叡山、最前線の山城
第10回:宇佐山城(滋賀県大津市)
「豊臣兄弟!」(NHK)で姉川の戦いに勝利した織田信長(小栗旬)だったが、浅井・朝倉連合軍との争いはまだまだ続く。というより、むしろそこから争いが本格化していったと言っても過言ではない。
姉川の戦いが1570(元亀元)年6月、同年の9月から約3カ月間、「志賀の陣」が始まる。姉川は琵琶湖の東岸だったが、今度は同じ近江国でも西岸。浅井・朝倉と手を結んだ比叡山延暦寺(図表1①滋賀県大津市坂本本町4220)が、この争乱の中心となる。
対する織田家の最前線かつ最重要拠点が宇佐山城(図表1②滋賀県大津市宇佐山町)だ。延暦寺から南へ直線距離で5km弱。この城を任されたのが森(もり)可成(よしなり)。信長の小姓であり本能寺の変で共に死すことになる森蘭丸(成利)の父で、織田家でも有数の猛将として知られていた男だ。最前線でのその戦いぶりはいかなるものだったのか。宇佐山城の遺構を訪ねつつ探ってみたい。
■山そのものが険しい城塞
近江神宮の背後にそびえる宇佐山一帯の山頂が宇佐山城で、麓からの比高は180mとなかなかに険しい。近江神宮の南側にある登山道から見てとれる急峻さだけで、難攻不落の山城だということがよくわかる。
登山口から10分ほどで宇佐八幡宮。ここから先、登りが本格化する。
■森可成が防御を固めた宇佐山城
道はここまでの参道と一転し、神社の本殿裏を回りこんだ先から本格的な山道に。勾配も全く異なる。宇佐山城ははるか頭上で、どのぐらい先にあるのかさえ不明。急勾配なので、つづら折りに何度も向きを変えながら、ひたすら進む。道幅は徐々に狭くなってくる。崖っぷちのわずかにつけられた山道だけが頼り。
これらは全て自然地形のままと思われるが、どこに城を築くかも築城者の腕の見せどころ。というか、山城ではそれが最重要といってもよいかもしれない。急造される場合が多い陣城(戦場に築かれた前線基地)なら尚更。この場所を選んだのは信長か可成か。いずれにしろ慧眼といえる。
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち令」を下したのか?
足利尊氏が築いた「室町幕府」は 次第に「零落」に向かう
「11代足利義輝・征夷大将軍」の頃、室町幕府は零落していたため「佐渡の金山」を抱えていた越後の大名「上杉謙信」が支えていた
このように室町幕府は「零落」していたので「諸藩の大名」は「落ちぶれた室町幕府」に忠誠を誓わず」諸藩の大名たちは
自分が「天下人」になり、自分の幕府を築くため権力闘争の「戦国時代」
そのため 三河の大名だった「織田信長」は 自分が天下人になるため 落ちぶれた室町幕府を「支配」するため
中国の「趙高」と同様に 秦の始皇帝の死後 自分が「秦王朝を支配」する為 始皇帝の遺書を偽造
始皇帝の末っ子(胡亥)を2代目皇帝にする遺言に「捏造」
こうして趙高が 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝を支配する
日本人識者は「井の中の蛙、大海を知らず」で実態が理解できていない
織田信長は、趙高と同じように「室町幕府を支配」するため「足利義昭」を15代征夷大将軍に「擁立」
そのため織田信長は、趙高が 2代目皇帝・胡亥を手玉に取り「秦王朝を支配」したように
室町幕府の15代征夷大将軍の「足利義昭」を手玉に取り「室町幕府を支配」
子供でも分かる・・手玉に取られていた「足利義昭・征夷大将軍」は、自分が征夷大将軍であるにもかかわらず
諸藩の大名・織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に織田信長を「討ち取る」よう命じる
ここで越前の大名「朝倉義景」や 近江の大名「浅井長政」は 上様・足利義昭・征夷大将軍の「家臣」で
上様である足利義昭・征夷大将軍の「家臣」なので朝倉義景・浅井長政は、不忠義者の織田信長を討ち取るため
比叡山では 僧侶たちが 一向宗のように「戦闘軍団化」していたので味方に引き入れる
当然、比叡山は、織田信長の「敵」になる
「人間の心理」は 敵よりも敵に「味方したヤツの方」が「遥かに憎い存在」になるので
織田信長は 敵の足利義昭・征夷大将軍や 朝倉義景、浅井長政より 味方した「比叡山」が遥かに憎く
家臣に 比叡山の仏閣を「すべて焼き払い」「僧侶たちを皆コロ」し、するよう命じたのが「比叡山焼き討ち令」の核心
以上が なぜ織田信長が「比叡山焼き討ち」したのか、その理由
4ページの長文解説など必要ない 日本識者は なぜ?の核心を 簡潔明瞭に言えない
トランプの夕食会議中 発砲した男
見出し・・発砲事件受けトランプ大統領が会見「イラン攻撃関係とは思わない」
ホワイトハウス記者会主催の夕食会で発生した発砲事件を受け、トランプ大統領が緊急会見を開き、容疑者が複数の武器で武装していたと明らかにしました。
アメリカ トランプ大統領
「今夜の出来事を踏まえ、私はすべてのアメリカ国民に対し、対立を平和的な方法で解決するよう改めて呼び掛けたい」
トランプ大統領は容疑者がカリフォルニア州在住と明らかにしたうえで、複数の武器で武装していたと明らかにしました。
また、自身のSNSで拘束された容疑者の写真を公開しました。
一方で、発砲がイラン攻撃と関係しているかとの質問に対しては「そうは思わない」と述べ、否定しました
・・・この「発砲した男」は「カリフォルニア州の出身」で「中東アラブ人」だった可能性
「1600年初頭」から「1800年の半ば」まで200年間かけて「北米大陸」に「アメリカ合衆国49州」を築く
この「49州目』の「州」が、太平洋に面する「カリフォルニア州」で
この当時、北米大陸(アメリカ合衆国)は 駄々っ広い荒野で 道路も 鉄道も 公共施設がない時代で
合衆国政府は「移民こそが アメリカ合衆国を建設する「礎(いしずえ)」になる」として
「移民奨励法」を施行
その為 中國移民(華僑) 日本人移民 西洋人移民 ユダヤ人移民 アラブ人移民などは
太平洋を船で横断すれば。必然的に太平洋に面する「カリフォルニア州」に漂着する
そのため カリフォルニア州の「サンフランシスコ湾」から「カリフォルニア州に入植」
その為 中國移民(華僑) 日本人移民 西洋人移民 ユダヤ人移民 アラブ人移民」が、アメリカ合衆国を建設する
このカリフォルニア州に入植したアラブ人の子孫が発砲した「可能性」
理由は「米国+イスラエル」が「中東アラブ人の国・イラン攻撃」
だからカリフォルニ州に入植していた「アラブ人」の子孫が 米トラを暗殺する為 発砲した可能性
合衆国政府の「移民奨励法」とアラブ人
参考
「移民奨励法」とは何か
移民奨励の代表例
アメリカで「移民を奨励する」法律としてよく挙げられるのは、南北戦争期の次のようなものです。
1864年「移民奨励法」
南北戦争で労働力不足になったことから、政府が移民募集会社を認め、契約労働移民を組織的に受け入れようとした法律です。エイブラハム・リンカーン大統領が署名し、連邦レベルでは初の本格的な「移民奨励」法と言われます。
ただし、この法律自体は短命で、のちに廃止され、アメリカの移民政策は次第に「奨励」から「制限・選別」へと向かっていきます。
🧭 アラブ人とアメリカ移民法
国籍別・地域別の制限
アラブ人を名指しで「奨励」した法律があるわけではなく、アラブ人は主に「中東・北アフリカ地域出身者」として、他の地域と同様に移民法の枠組みの中で扱われてきました。
アメリカの移民法は、20世紀前半までは国籍ごとの割当制など「人種・出身地」に強く依存した規制で、西欧出身者を相対的に優遇していました。
1924年移民法などは、特定地域の移民を大幅に制限し、民族構成の維持を目的としたものとして知られています。
その後、1965年移民法改正で人種・国籍による差別的な割当が撤廃され、家族結合や職業技能を重視する現在の枠組みに近づき、中東・アラブ地域からの移民も増えていきました。
「奨励」というより「条件付き受け入れ」
現代の制度では、アラブ人を特別に「奨励」するというよりも、他地域と同じように
家族呼び寄せ
雇用ベースの移民ビザ 難民・亡命などのカテゴリーで、条件を満たす人を受け入れている形です。
一方で、テロ対策や安全保障上の理由から、中東・アラブ地域出身者への審査が実務上厳格になった時期もあり、「奨励」というよりは、セキュリティ審査と移民受け入れが常にセットで語られてきました。
🧩 いまのアラブ系アメリカ人の位置づけ
アラブ系アメリカ人は、アメリカ社会の中で一つの少数派コミュニティとして存在しており、政治意識や社会問題への考え方は一枚岩ではありません。調査によると、多くは政治的に中道からリベラルと自認しながらも、不法移民問題などでは比較的保守的な意見を持つなど、複雑な立場が見られます。
トランプは不適切は 発言をしていない
日本識者が「おかしな翻訳」を報道している
見出し・・4ページの1ページ・・「トランプは狂った犯罪者」支持者は離れ、他国からも批判…トランプ大統領が発した“禁句”とは
支持率低迷が続くトランプ大統領 ©CNP/時事通信フォト
ドナルド・トランプは自滅への道を歩んでいるように見える。公約だった「戦争をしない」を覆してイラン戦争を始め、MAGAインフルエンサーたちから一斉に批判された。ガソリン代の急騰により、MAGA有権者もトランプから離れ始めた。(寄稿:堂本かおる)
◇
確たるプランもなく簡単に勝てると始めた戦争は泥沼にはまり、逆上してイランの「文明を全滅させる」と人道にもとる暴言を吐いた。さらには戦争反対を唱えるローマ教皇にまで噛み付いた。失いつつあるクリスチャン有権者の支持を取り戻そうと自身をキリストとして描いた画像をSNSにポストしたが逆効果となり、世界中から大批判を浴びた。
トランプのこうした言動を受け、職務履行が不可能な大統領を罷免する憲法修正第25条の発動案までもが出ている。それでもなおトランプはナルシシズムと権力志向に基づいた暴言をやめられずにいる。
大統領が口にした「Fワード」
4月5日はイースター(復活祭)だった。キリストの復活を祝う、キリスト教徒にとって非常に重要な祭日だ。春の訪れを祝う日でもあり、かわいいウサギをシンボルとし、カラフルに塗ったタマゴを子供たちが探すゲームが行われる。
そんなイースター・サンデーの朝8時(現地時間。以下同)にトランプが自身のSNS、トゥルース・ソーシャルに行なったポストは誰にとってもショッキングだった。
〈「火曜日はイランにおいて発電所の日であり、橋の日でもある、全てが一度に起こる日となる。これほどの日は他にない!!! このクレイジーなクソッタレども、ファッキン海峡を開けろ。さもないと地獄で生きていくことになるぞ――見てろ!アッラーに栄光あれ。ドナルド・J・トランプ大統領」〉
米軍がイランの発電所と橋、つまりインフラを一斉攻撃するという脅しだが、その内容以上にトランプの言葉遣いに誰もが驚いた。
・Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)
・you crazy bastards(クレイジーなクソッタレども)
・you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
翻訳
Open the Fuckin’ Strait(いまいましい海峡を開けろ)
you crazy bastard(お前は、気が狂った嫌なヤツだ)
you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
・・国家の大統領としては 品格が落ちる表現だが、男なら誰でも「喧嘩相手を罵る表現」
何処も不適切な発言ではない・・翻訳の仕方が違い「不適切な表現」にしている
人間は「落ち目」になると「寄ってたかって」 散々 非難される
翻訳
Open the Fuckin’ Strait・・・Fuckin’ とは、Fuckining の事で ing を省略したのが
コンマ(’)を付けた、Fuckin’ で 意味は「忌々しい」、と言ったように 語気を強めるために使う用語で
Strait とは 海峡のことで
このいまいましい閉じられた海峡を さっさと開けろ=! といういう意味
それを ある識者が
Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)・・性的に閉じられた海峡を開けろ!
つまり 女性の閉じられたアソコを開けろ と言う具合に翻訳
米人が 喧嘩相手を罵る英語
ファッ、キュー ・・Fuck you!
参考
「huck you 意味」
huck you は英語の本来の表現ではなく、多くの場合 fuck you(「くたばれ」「ふざけんな」などの強い悪口)の F を打ち間違えたもの、
あるいは放送コード・検閲回避のために F を H に置き換えた婉曲表現として使われます。
したがって意味も、ほぼ同じ強い侮辱表現と考えてください。
核心が、まだ分からない識者
見出し・・織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
元亀2年(1571)9月、織田信長は比叡山焼き討ちを決行した。この出来事は、信長が宗教を否定した象徴的な事件として広く知られている。
しかし、信長は本当に無神論者だったのだろうか。比叡山焼き討ちは、単なる宗教否定の行動だったのか。本稿では史料をもとに、その実態を改めて考えてみたい。
信長による比叡山の焼き討ち
信長の軍勢が坂本・堅田付近に放火を開始すると、一斉に比叡山へ攻め込んだ。その様子は、『信長公記』に詳しく描かれている。死者の数は、フロイスの書簡には約1500人、『信長公記』には数千人、『言継卿記』には3000~4000と記されており、数には差がある。
いずれにしても、相当数の人々が亡くなったことは間違いない。坂本周辺に居住していた僧侶や住民たちは、日吉大社の奥宮の八王子山に立てこもったが、信長の軍勢によって焼き殺された。
比叡山焼き討ちはどう理解されてきたのか
これまで信長による比叡山焼き討ちは、どのように理解されてきたのだろうか。天台宗の比叡山延暦寺は、中世を通して宗教的権威として畏怖され、ときの権力者は公家・武家を問わず、容易に手出しできない存在であった。
しかし信長は、その中世的権威を否定すべく焼き討ちを実行したと考えられてきた。こうした理解から、この出来事は信長の革新性や無神論的性格を示す象徴的な事件として、長く評価されてきたのである。
では、当時の人々はこの焼き討ちをどのように受け止めていたのか。山科言継(ときつぐ)の日記『言継卿記』には、「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」とあり、この行為を厳しく非難している。
仏法とは仏教のことであり、王法とは政治や世俗の法、慣行を意味する。言継は、信長の行為をきわめて批判的に捉えていたのである。
信長が見た比叡山の実態とは何か
一方で、信長自身はどのように考えていたのだろうか。当時の比叡山延暦寺の様子について、『信長公記』には次のように記されている。
山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行体、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賄いにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く。
この記述を見る限り、比叡山延暦寺の僧侶らは本来の責務を果たさず、放蕩三昧の生活を送っていたと認識されていたようだ。こうした状況は、『多聞院日記』(興福寺塔頭多聞院英俊の日記)にも、修学を怠っていた様子が記されている。
さらに比叡山延暦寺は、信長に敵対する朝倉氏・浅井氏に与同したという。結論として、こうした僧侶らの不行儀と敵対行動こそが、比叡山焼き討ちの原因であったと考えられる。
信長は事前に「最後通告」を行っていた
前年の元亀元年、朝倉氏・浅井氏と戦っていた信長は、比叡山延暦寺に対して次のように通告していた(『信長公記』)。
1.信長に味方するなら、山門(比叡山)領を返還すること。
2.一方に加担せず、中立を保つこと。
3.これらを受け入れない場合、根本中堂を焼き払うこと。
しかし、比叡山延暦寺の衆徒は明確な回答をせず、最終的には朝倉氏・浅井氏に味方した。信長は自らの申し出が受け入れられなかったため、比叡山焼き討ちを決意することになる。
ここで重要なのは、信長が仏教そのものを否定したわけではないという点である。問題とされたのは、僧侶が本分を忘れ修学を怠り、さらに信長に敵対する勢力に加担したことであった。
「信長=宗教否定」は本当に正しいのか
信長による比叡山焼き討ちは、仏教の否定や宗教的権威の破壊を意味する出来事として理解され、信長が無神論者であったことの証拠とする見方が広く流布してきた。
しかし実際には、信長に宗教そのものを否定する意図があったとする確かな根拠は見出しにくい。むしろ、敵対勢力に与同した武装勢力としての比叡山への軍事的対応と理解する方が、史料の内容には即している。
いまなお「信長は宗教を否定した人物である」という説は広く知られているが、それは必ずしも史料に基づいた理解とはいえない。比叡山焼き討ちの実像を正しく捉えるためには、従来のイメージだけでなく、史料の内容を丁寧に読み直す必要があるだろう。
発砲男は アラブ系イスラム教徒の可能性
キリスト教米国とイスラム教アラブは 昔から敵対関係
見出し・・米記者団夕食会銃撃事件の容疑者、犯行10分前に家族へ声明文…トランプ氏殺害を示唆
米ワシントンDCのホテルで開かれたホワイトハウス記者団夕食会会場で発生した銃撃事件の容疑者、コール・トーマス・アレン。[フェイスブック キャプチャー]
アレン容疑者は「もし絶対的に必要であれば、行事参加者の大半は小児性愛者、強姦犯、反逆者の演説に出席することを『選択』したのだから共犯に当たるという前提で、ほぼすべての人を押しのけてでも標的に接近する」とし、「ただ、そのような状況にならないことを願う」と記した。数百人の会場参加者に対しても敵意を示し、潜在的な攻撃を正当化した形だ。
アレン容疑者は、自身の犯行に対して予想される批判と、それへの反論もあらかじめ文書に盛り込んだ。彼は自身の犯行については、「キリスト教徒として(誰かがあなたの片方の頬を打てば)もう一方の頬を差し出すべきだ」という反論が出る可能性があるとし、「もう一方の頬を差し出すのは、自分が抑圧されている時だ」と反論した。続けて「私は、収容所で強姦された人、裁判もなく処刑された漁師、爆撃で死亡した学生、飢えた子ども、この政権の数多くの犯罪者に虐待された10代少女でもない」とし、自身は直接的被害者ではないとしたうえで、「他の誰かが抑圧されている時に、もう一方の頬を差し出すのはキリスト教徒の行動ではない。それは圧制者の犯罪に加担することだ」と主張した。
トランプ大統領は26日、FOXニュースのインタビューで、「彼の声明文を読めば、彼がキリスト教徒を憎んでいることは明らかだ」とし、「彼は長い間、心の中に深い憎悪を抱いていた。それは宗教的な問題だった。強い反キリスト教的傾向を示していた」と語った。
アレン容疑者は声明文で、今はこのようなことを行うのに適切な時期ではないという批判があり得るとし、「誰かが強姦されたり殺害されたり虐待されたりするのを目撃した時、被害者ではない人々にとって『不快』かもしれないという理由で、そのまま通り過ぎるべきだと思うのか」とし、「私が思いつく限り最善のタイミングであり、成功の可能性が高い機会だった」と主張した。
歴史の無知な識者
>織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
・・・現代社会は 金や物の「物質世界」だが 昔は 今より遥かに「純朴」で現代のように「学問」が発達していない時代
「運命は神頼み」で、戦国の武将は戦いで「勝利するよう神頼み」で「信仰心に篤かった」
因みに歴史家・井上鋭夫の著書「上杉謙信」では 謙信は生涯、70戦、戦ったといわれ
戦いに際し「鶴岡八幡宮』に祈祷文を奉納していて 今も上杉神社に残されている
織田信長の「先祖」は、越前の織田神社(剣神社)の神官で「信仰心に篤い武将」
ところが 比叡山の僧侶たちは 色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し、遊女を「蓮の花」と称し 傲慢に振る舞い「戦闘軍団化」していて
僧侶ではなく酒を飲み 遊女と交わっていた「破戒僧」どもで「生臭坊主」どもは 仏教の僧衣を着た「偽僧侶」として
比叡山の「仏閣」を悉く焼き払い 比叡山の生臭坊主(破戒僧)どもを皆コロし したのが「比叡山焼き討ち」
甲斐の「武田信玄」も 諏訪大社を「勝利に導く神社」として信仰していた武将
だから織田信長が 比叡山の僧侶どもを皆コロし、する「比叡山焼き討ち』に際し
家臣の 真田昌幸に「天台座主・曼珠院門跡覚恕」の救出を命じ 真田昌幸が無事救出したため
天台宗が破滅せず生き残る
戦国の武将たちは 戦いで 死ぬか生きるかの運命で 信仰は篤かった
人民、思いでない日本の政治家
自分の「保身ばかり重要視」人民の事など軽視
先般 自衛隊の戦車が爆発、犠牲になった3人の自衛官の葬儀に、高市総理は参列しなかったと言う
この人民軽視は 高市が 立身出世で裏金議員まで味方に付け「自民党総裁」になり、さらに最高指導者の総理大臣になるため 自民党最大派閥の麻生太朗を取り込み「総理大臣」に就任
高市は「自分の保身と国際社会から評価」される事しか頭にない女
だから米トラから、評価される為「ゴマすりの太鼓持ち」
ところが 日本人民の大多数は「マゾ」で 70%のマゾ日本人が支持
見出し・・・戦車事故殉職者の葬送式に首相参列せず、米山隆一氏が批判「理解できません」 投稿に波紋、過去にも首相参列なしの例
中道改革連合の米山隆一前衆院議員が、大分県・日出生台演習場で訓練中に戦車内で砲弾が破裂して亡くなった3人の自衛官の葬送式に、高市早苗首相が参列しなかったことについて、「理解できません」と意見した。過去にも首相が参列しなかった例はあり、米山氏の投稿には波紋が広がっている。
■「自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
高市首相は26日にXで、同日に陸上自衛隊玖珠駐屯地(大分県玖珠町)で葬送式が行われたことを報告。「内閣総理大臣として、衷心より哀悼の誠を捧げます」とした。一方、各社の首相動静によるとこの日は終日公邸で過ごしていたとあり、葬送式に参列はしていないようだった。
なお、小泉進次郎防衛相は参列したことを自身のXで報告している。
米山氏はXで、高市首相が葬送式に参列しなかったことに言及。「勿論、公務の優先順位はあります。全てに出る必要があると言う事ではありません」としたうえで、
「特段の公務がないにも関わらず、自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
と意見した。
この投稿には同意を示す意見が寄せられた一方、首相が殉職した自衛隊員の葬送式に参列しなかった例は過去にもあったとして、「全ての公務員の葬儀に総理が出るって現実的じゃないでしょう」「葬送式では防衛大臣が出席されてます」「高市さんが嫌いだからって難癖は付けないで欲しい」といった声も寄せられた。
例えば岸田文雄元首相は、23年6月10日に行われた、陸上自衛隊のヘリコプター事故で犠牲となった自衛隊員の10人の葬送式には参列している一方で、参列しなかった葬送式もある。24年6月22日と30日に行われた海上自衛隊の哨戒ヘリコプター2機の衝突・墜落事故で殉職した計8人の葬送式には、当時の防衛相・木原稔氏は参列したものの、岸田氏は参列していない。
自衛隊の戦車爆発で犠牲になった3人の自衛官が「昇格」
見出し・・・死亡隊員3人が特別昇任 陸自戦車事故共同通信
大分県の日出生台演習場で戦車の射撃訓練中に砲弾が破裂した事故で、防衛省は27日、死亡した陸上自衛隊の隊員3人をそれぞれ1階級特別昇任させたと明らかにした。昇任は死亡が確認された事故当日の21日付。
・・・これは「軍隊では当然」の形式
どの国の軍隊も同じで「階級制度」があり
1)最前線で敵と戦う兵隊が「最下位」の兵士
2)兵隊を指導する軍人が「伍長」
3)この伍長を指揮する軍人が「軍曹や曹長」
4)この軍曹・曹長を指揮する階級が 大尉・中尉・少尉
5)この大尉・中尉・少尉を指揮する階級が 大佐 中佐 少佐
6)この大佐 中佐 少佐を指揮する階級が 大将 中将 少将
軍隊の最高トップは 大将
このような階級制度に成っていて 国のため殉死すれば 階級が昇格する仕組みになっっていて
今回 戦車で死亡した自衛官3名は 国のため殉死したとして昇格
しかし高市総理は 軍隊に無知で 葬儀に参列してない
自衛隊とは何か?
太平洋戦争で1945年 日本は米国に「敗戦」 その為 戦勝国の「米国」が「日本を統治支配するため
米国GHQ(進駐軍)が 日本を統治支配する
しかし 日本人民にとって太平洋戦争で「鬼畜米兵」と呼んでいた米軍の進駐軍が
日本を統治支配したため
日本人民が 米国の進駐軍(米国GHQ)に反乱 治安が乱れてしまう
そのため米国GHQが「日本の治安を治める」為「警察予備隊」を設立
ところが 1950年 共産主義勢力が資本主義の米国が建国した「韓国」を侵略したため
資本主義の米国が「共産主義の拡大」を「防衛」するため1952年 日米同盟 日米安全保障条約締結
そのため「警察予備隊」が 共産主義を「防衛」する「自衛隊」になる
しかし 日本国憲法第9条で「日本は恒久的に戦争放棄の条文」
だから 自衛隊は「軍隊ではない」
ところが「高市総理」は 米トラに「ゴマすり」で、憲法第9条を 改正しようとしている
つまり 自衛隊を軍隊化しようとしている
だから 中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
高市総理は 自己矛盾しているが単純なので それも自覚できない
だから 自衛官の葬儀にも参列しない、自己矛盾も分からない
中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
この「理由」
日本は 明治時代「軍国主義」の国家になり 昭和時代の1937年「盧溝橋事件」を契機に
何の罪もない 中国を 一方的に「侵略」
だから、中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している理由
日本は軍国主義に戻るのか
参考
日本は「新型軍国主義」と批判 中国、秩序挑戦者と定義か
「新型軍国主義」という言葉を用いた評論を掲載した、中国共産党機関紙、人民日報
中国が「新型軍国主義」という言葉で日本を批判し始めた。
中国専門家は「戦後国際秩序への挑戦者として日本を再定義する動きだ」と分析。
18日に発足する第2次高市政権が憲法改正に向けた議論や防衛力増強を加速させることを中国は警戒しており、
対日対抗措置を念頭に置いた「ストーリー作り」の一環との見方も出ている。
『新型軍国主義』は日本を再び深淵に引き込む」。1月9日付の中国共産党機関紙、人民日報は「鐘声」というペンネームで国際論評を載せた。
鐘声の署名論評は習近平指導部の対外認識を示すとされ、同論評が新型軍国主義という言葉を使用したのは「これが初めて」
論評は「日本の右翼が侵略の歴史を否定し、非核三原則を見直し、平和憲法から離脱することを望んでいる」と高市政権を批判。
「新型軍国主義の執念に基づき日本を改造しようとしている」と主張した。
人民日報は同27日付紙面にも「日本の『新型軍国主義』を食い止めなければならない」との論評を掲載した。
自己矛盾に満ちている「高市総理」
この自己矛盾に気付かず「相対性理論」を構築した物理学者が 20世紀最大の理論物理学者アインシュタイン
アインシュタインは 自分の「自己矛盾」に気付かず 相対性理論を構築
しかし この理論は自己矛盾しているので 100年経った現在でも「正しさが立証されていない」
アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞したのは 相対性理論ではなく「光量子仮設」
つまり 20世紀最大の物理学者アインシュタインは 自己矛盾して相対性理論を構築
高市総理も「自己矛盾」していて 憲法第9条 改憲
だから自己矛盾している高市総理を・・中国政府が 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
知略がない米トラ政権
イランから振り回されているじじころじいさん 日本の高いちんころ政権は、米トラに振り回されている万ころばばさん
戦争すれば 中国の知略に歯が立たない 日本識者は田舎のチンドン屋
見出し・・・「アメリカ全体がイランに屈辱をうけている」ドイツのメルツ首相が痛烈批判 「控えめにいっても軽率だ」
ドイツのメルツ首相は27日、アメリカのイラン戦略について、「控えめに言っても軽率で国全体が屈辱を受けている」と批判しました。
メルツ首相は27日、自身の選挙区で学生たちに向けて講演し、イラン情勢をめぐるアメリカの対応について、「明らかに戦略がない」と指摘しました。
また、紛争における出口戦略の重要性について、「アフガニスタンやイラクで、私たちはそれを痛ましく経験した」と述べたうえで、「一連の出来事は、控えめに言っても軽率だ」と批判しました。
一方、イラン側については、「非常に巧みに交渉している。あるいは、巧みに交渉しないことで、アメリカ側をイスラマバードまで行かせたにもかかわらず、何の成果もなく帰らせている」との見方を示しました。
さらに、「アメリカという国全体が、イランの国家指導部、とりわけ、いわゆる革命防衛隊によって屈辱を受けている」と述べました。
メラニン色素ばばさんのもだえ あえぎ脱糞
見出し・・・メラニア夫人がABC司会者の処分を要求 侮辱発言を「憎悪的で暴力的」と批判 トランプ大統領も「明らかに度を超えている」
トランプ大統領の妻メラニア夫人は27日、ABCテレビに対し、番組の司会者が自身を侮辱する発言をしたとして、処分を求めました
核心がハッキリ分かってない識者
明知光秀が「本当に善人だったのか?」 そんな事は学生時代に言うセリフ
見出し・・・明智光秀は本当に「善人」だったのか?比叡山焼き討ちに積極関与した証拠と
織田信長による比叡山焼き討ちは、戦国史の中でも特に衝撃的な出来事として知られている。一般には信長の苛烈な行動として語られることが多いが、その裏側では家臣たちも重要な役割を担っていた。その中でも注目すべき存在が、後に本能寺の変を起こす明智光秀である。
実は光秀は、この比叡山焼き討ちにおいて積極的な役割を果たしていた可能性が高い。いったい光秀はどのように関与していたのか。その経緯を史料からたどってみたい。
比叡山焼き討ちへと至る緊迫の情勢
元亀2年(1571)2月、浅井氏の家臣で佐和山城(滋賀県彦根市)を守備していた磯野員昌が、突如として織田方に寝返った。佐和山城は美濃と近江を結ぶ交通の要衝であり、この離反は浅井氏にとって大きな打撃となった。
信長は磯野氏の代わりとして、家臣の丹羽長秀を佐和山城に配置した。同年5月、信長は長島の一向一揆と戦ったものの、意外にも敗北を喫している。その一方で、顕如の子・教如と朝倉義景の娘との縁談が成立し、反信長勢力の結束は強まりつつあった。
同年8月、信長は浅井氏を攻めるため出陣し、さらに金森(滋賀県守山市)まで軍を進めた。ここは近江一向一揆の拠点であったが、最終的に一向一揆側は降参し、人質を差し出すこととなったのである。
和睦を拒み続けた比叡山の強硬姿勢
こうした情勢の中で、比叡山延暦寺もまた反信長の姿勢を鮮明にしていった。もともと比叡山は信長との和睦に消極的で、交渉への返答も滞りがちであった。交渉を担当していた二条晴良は憤慨し、信長自身も同様の不満を募らせていたと考えられる。
信長は比叡山が要請に応じないことに加え、いちおう和睦が成立したものの近江から撤退せざるを得なかった無念を晴らそうと考えた(『信長公記』)。こうして決断されたのが、後世に悪名高い比叡山焼き討ちであった。
光秀は裏方ではなかった―土豪調略という重要任務
比叡山焼き討ちに際し、明智光秀は単なる従軍者ではなかった。同年9月2日、光秀は和田秀純に宛てて書状を送っている(「和田家文書」)。和田氏は、宇佐山城からほど近い雄琴(滋賀県大津市)の土豪であった。
秀純は近隣の土豪である八木氏とともに光秀に味方することを約束し、鉄砲や弾薬の補給を受けたうえで仰木(同大津市)の攻略にあたることになった。これは、焼き討ち作戦の周辺地域を制圧するための重要な準備であったとみられる。
さらに信長は志村城(滋賀県東近江市)を攻略し、その後は長光寺(滋賀県近江八幡市)に全軍を結集する計画だったという。光秀は近江の土豪を調略する任務を担っており、この作戦の進行に深く関与していたのである。光秀が焼き討ちに積極的に関わっていた可能性は、こうした史料からも読み取ることができる。
焼き討ち後に待っていた光秀の大出世
比叡山焼き討ちが行われた後、信長はただちに家臣たちへ恩賞を与えた。光秀には志賀郡が与えられている。志賀郡は現在の大津市域の大部分を占め、比叡山の東麓に位置する重要な地域であった。
光秀が坂本城を築いたのも、この比叡山麓の坂本である。坂本は山中越えによって京都の白川へ至る交通の要衝であり、軍事・政治の両面で極めて重要な地点だった。つまり、この所領付与は単なる恩賞ではなく、信長からの厚い信任を示すものだったといえるだろう。
明智光秀
日本人は学者でも「理解力に乏しい」
「幕府」とは「最大の力ある権力者」が「征夷大将軍」となり 日本全土を「支配」し
「他の武将たち」が征夷大将軍に屈服し 征夷大将軍が支配する「全国の領土」を忠誠を誓う武将に
分割して委ね「藩」とし「藩主」となる この藩主が「大名」
諸藩の 藩民たちは 藩主(大名)を「殿様」と呼び 諸藩の大名たちは征夷大将軍を「上様』と呼び忠誠を誓っていた
この上様(征夷大将軍)をサポートする役職を「幕閣」と言い
現在では上様(征夷大将軍)に相当するのが「総理大臣」で 総理大臣をサポートする役職が「内閣」
「幕府」とは 上様(征夷大将軍)と幕閣が「幕府」
現代では 総理大臣と 内閣が「政府」
幕府=政府
つまり征夷大将軍(上様)が最高権力者となった中央政権が「幕府」
室町幕府は 足利尊氏が初代の征夷大将軍となり、足利尊氏の子孫たちが累代の「足利征夷大将軍」
だから 各地の「武将・大名」は「幕府の征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
明知光秀も武将として 越前の大名「朝倉義景」も 近江の大名「浅井長政」も「室町幕府」の足利征夷大将軍に「忠誠を誓っていた」
しかし 諸行無常・栄枯盛衰は世の習いで 室町幕府は 11代足利義輝・征夷大将軍の頃から、次第に衰退に向かう
幕府が「衰退」すれば 当然の成り行きで「諸藩の大名」は自分が「天下人」に成り。日本を支配したい」と思うのが当然で
三河の大名「織田信長」が 天下を取るため 足利征夷大将軍を「手玉に取り操り」室町幕府を「支配」するため
趙高が 秦王朝を支配するため「胡亥」を2代目皇帝に擁立 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝」を支配したように
織田信長も室町幕府を支配するため 15代征夷大将軍に「足利義昭を擁立」
足利義昭を「手玉に取り」利用
ここで「明智光秀」は 室町幕府の足利征夷大将軍に「忠誠」を誓っていたが「幕府零落」
零落している幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓うより 天下人を目指し 室町幕府の支配を目指す「織田信長」に仕えた方が立身出世できるので「織田信長」の忠臣になる
明智光秀は 知略ある武将で 比叡山焼き討ちでも、羽柴秀吉 柴田勝家より多くの戦功を上げ織田信長の「直臣下」になる
ところが 足利義昭・征夷大将軍は 織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので 織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に
織田信長を「討ち取る」よう命じる
その為 幕府の足利義昭・征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の首を討ち取ろうとする
ここで 足利義昭・征夷大将軍の「忠臣」朝倉・浅井は「比叡山」を味方に付ける
そのため 比叡山は織田信長の「敵」に成り、織田信長が「比叡山焼き討ち」
さらに姉川の戦いで 幕府・足利義昭征夷大将軍の忠臣。。浅井・朝倉を「滅ぼし」
室町幕府を「滅亡」 安土桃山時代を築く
ここで 織田信長の忠臣になっていた「明智光秀」は 元々 幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓っていたので
幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓い 主君の織田信長を「討ち取るべきか」
それとも主君・織田信長に忠誠を誓うべきか 迷うことになり 自分が 天下人になるため本能寺の変で織田信長を攻め 明知光秀が天下人になる
ところが織田信長の忠臣、羽柴秀吉が 天下人になるため 天下人になった明智光秀を成敗
天下人豊臣秀吉になる・・栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常
、
比叡山焼き討ちで 一番 貧乏くじを引いた武将
答えは明白 明智光秀が 一番 困った立場になる
ある識者が 4ページに渡り解説・・1ページと 3ページ転載
見出し・・1ページ・・油断した延暦寺でも、激怒した信長でもない…比叡山焼き討ちで「最も損な役回り」を強いられた戦国武将の名前
NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が比叡山を焼き討ちするよう命じる、大河ドラマの定番シーンが描かれた。信長の冷酷ぶりを表すエピソードだが、最新研究からは違った側面が見えてきたという。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
【画像をみる】最も損な役回りだった戦国武将
■“焼失”したのは根本中堂と大講堂のみだった
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第15回(4月19日放送)は朝倉・浅井連合軍との一大決戦である姉川大合戦が描かれた。そして、第16回(4月26日放送)はついに来た、タイトルは「覚悟の比叡山」。藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)は浅井方の宮部継潤(ドンペイ)の調略を行っている一方で、信長(小栗旬)は、織田に従わないなら寺を焼き払えと光秀(要潤)に命じたのである。
いよいよやってきた、信長の見せ場比叡山の焼き討ち。時に1571(元亀2)年9月12日のことである。
さて、この比叡山焼き討ちのステレオタイプなイメージはこうである。
信長が焼き討ちを命じる→光秀がそれはまずいと説得→信長が応じず「比叡山、焼き払うべし‼」→僧侶から避難していた女子供まで皆殺し……。
しかし、研究によって現実の焼き討ちはこうではなかったということが明らかになっている。戦後になって、比叡山では発掘調査が本格的に実施された。その結果、明確に信長の比叡山焼き打ちで焼失が指摘できる建物は、根本中堂と大講堂のみで、ほかに見られる焦土層は、焼き討ち以前に廃絶していたものが大半だということが明らかになった。
■「全山大虐殺」はまったく過去のもの
こうした調査結果をもとにした兼康保明の「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(『滋賀考古学論叢』第1集、1981年)では、「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」としている。
信長研究の大家であった谷口克広『信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年)では、殺戮が八王子山(別名:牛尾山、日吉大社の北側の位置に聳えるご神体のお山)を中心として行われたとしており、長らくイメージされていた「全山大虐殺」はまったく過去のものとして考えられるようになっている。
そもそも、信長が比叡山に怒り狂うまでには、それなりの経緯がある。
発端は信長による比叡山の寺領横領だった。つまり最初にケンカを売ったのは信長側である。これに怒った延暦寺は朝廷に訴え、朝廷から寺領を返せという綸旨まで出たが、信長は無視した。
こじれた関係の中で1570年、浅井・朝倉連合軍が比叡山に立て籠もった。信長は包囲したものの、四方から敵に囲まれる形になり、結局は天皇の調停で和睦するしかなかった。この「志賀の陣」の最中には弟・信治が浅井・朝倉勢に討たれている。
3ページ目
■光秀は“信長の本気度”を見抜いていたか
信長と延暦寺の関係は、まさにこれだった。延暦寺は「また難癖をつけてきた権力者」への慣れた対処法で臨んだ。黄金を贈って、頭を下げて、うまく丸め込めばいい。これまでも何度もそうやってきた。
しかし両者には、周囲の常識が通じない共通点があった。メフメト2世は「千年間誰も落とせなかった。当然だ。俺がいなかったから」という厨二病全開な思春期(当時21歳)。信長もまた、身内に手を出されると損得勘定が消える男だった。弟・信治の死は、信長にとって「舐められた」ではなく「やられた」だった。そうなると、もう止まらない。
しかし‼ ここに一人だけ「あ、これはもうダメだ」と察していた男がいた。明智光秀である。
光秀は比叡山東麓の宇佐山城を任されていた。最前線で信長の動向を逐一把握していた男だ。そして能力が高いということは、見たくないものまで見えてしまうということでもある。
信長は本気だ。これは止まらない。
光秀にはそれが読めた。だから同僚たちに言って回ったはずだ。古参の重臣・柴田勝家にも、筆頭家老格の佐久間信盛にも。「上様、本気で焼きますよ」と。
■「焼き討ち前」に情報を伝えた光秀
返ってきたのはこんな反応だっただろう。
「ほう、新参者の割にはよく上様の心中を読めるものだな(笑)」
「まあまあ光秀殿、書物の読みすぎじゃないですか。戦場は理屈通りにはいきませんよ」
「光秀殿、上様が本気かどうかは俺が一番わかっとる。あそこは攻めん。攻めれんわ」
と、こんな感じに「光秀殿はまあ……頭はいいんだけどな。融通が利かんというか、なんというか」とばかりに、本気にされなかったのだろう。
こうなったら自分で動くしかない。光秀は焼き討ちが不可避と判断し、粛々と準備を始めた。焼き討ちの10日前、光秀は地元の土豪・和田秀純に書状を送っている。
この有名な文書である「仰木之事ハ是非共なてきりニ可仕候、頓而可為本意候」。つまり、仰木のことは是非とも皆殺しにする、すぐにそうなるだろう、とある。後世この一文だけを取り出して「光秀は積極的に虐殺を望んだ」と読む向きもあるが、この書状をよく読むと、同時に信長の出陣日程を正確に和田に伝えている。また8月2日に和田に送った書状では、芦浦観音寺に「18日に信長が動く」という事前通知していたこともわかる。
和田光生「比叡山焼き討ちと天正の復興 明智光秀の果たした役割」(『成安造形大学附属近江学研究所紀要』第11号、2021年)は、この書状を丁寧に読み解き、光秀が焼き討ちを前提として周辺の土豪を懐柔し、綿密な事前準備を進めていたと指摘している。