ただの猫
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2026/05/07 (木) 10:28:38
豊臣秀吉の朝鮮出兵で 朝鮮人の耳や鼻を削ぎ落した倭軍
見出し・・平安時代の終わりごろから江戸時代の初期にかけて、武家社会では現代では考えにくい慣習がいくつも行われていました。
その中でも戦で殺害した敵の首を切り取り、それを倒した証として報告していた首検分(くびけんぶん)は、今となってはあまりにも異様に感じます。
少しでも名のある武将を倒すことが重要だった時代、首検分は「戦果の確認」でもあり、その後の恩賞にも影響することから、武士たちは積極的に敵の首を取り、それを証拠として持ち帰っていました。
首ではなく耳や鼻を削ぎ落とした「耳塚(鼻塚)」
しかし朝鮮出兵では、首の代わりに鼻や耳を削ぎ、それを戦功の証として扱った記録があります。
鼻や耳を戦功の証として扱ったことを物語るものが、耳塚(鼻塚)です。
場所は京都国立博物館と京阪七条駅の間にあります。
耳塚(鼻塚)に関する説明書きがあります。
朝鮮出兵に関するものであることから、その下にハングル語での説明があります。
耳と鼻をそぐように命じた秀吉は塚を建て供養した
全国統一を成し遂げた秀吉は、次の攻撃対象を大陸に定めて2度の朝鮮出兵を行いました。
特に2度目の慶長の役では、朝鮮半島に攻め込んだ日本兵が、朝鮮兵や援軍の明兵だけでなく、一般民衆の鼻や耳まで大量に切り取ったとされます。
それらを京都に持ち帰って埋めたものが耳塚(鼻塚)であると、明治から昭和にかけての民俗学者・南方熊楠(みなかた くまぐす)は論証しました。
複数の豊臣政権下の大名が発給したとされる「鼻請取状」では、三万もの鼻削ぎ(鼻を削って塩漬けにして持ち帰った)ことが確認できるとのこと。
ただしこれは一部であり、実際にはもっと多かった可能性があります。
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