少年兵、かく戦えり
太平洋戦争では「未成年の少年」まで 日本を死守するため オンボロ戦闘機に250k爆弾を搭載 米軍戦艦に「体当たりで自爆」・・これが「特攻隊」
詳しくは、次の投稿で 説明
見出し・・3ページの1ページ
「新聞は戦争を美化せよ!」に作家が込めた痛烈なメッセージ 敗戦時に「自決」を考えた軍国少年は、戦争の検証をライフワークに選んだ
1970~80年代の人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者で、児童文学作家の山中恒さん(94歳)が3月、死去した。軍国主義一色だった戦前に少年期を過ごし、敗戦時には責任を取って自殺する「自決」まで考えたという。
戦時期の検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行。当時の社会や子どもの状況、メディアの報道を粘り強く調べ、戦争遂行のために人々の暮らしがどれほど影響を受けたかを伝え続けた。その原動力は何だったのか?)
▽ヒット作の印税で戦時出版物を購入
児童向けのファンタジーからユーモアあふれる作品まで幅広く手がけた。大林宣彦監督の1980年代の人気映画「転校生」や「さびしんぼう」の原作者でもある。
「(ヒット作が続いたので)多額の印税が入った。そのおかげで私はかなり大量の戦時出版物を購入することが出来(でき)た」と著書に記した。児童文学を書きながら、あの戦争について納得いくまで調べたい、という思いも抱き続けたのだろう。
山中恒氏の戦争関連著書の一部
著書には、古書店から届いた目録を見て、気になる資料を片っ端から購入していく様子が記されている。そうして資料を着々と集め、地道な検証に取り組んだのだ。 私自身、戦前の歴史を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たった。関連の著書は30冊以上に上る。残念ながら直接取材したことはなかったが、著書から多くのことを学んできた。
▽昨日まで天皇陛下万歳だったのに今日からはマッカーサーかよ…
山中さんは満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。
当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇(はっこういちう=全世界を一つの家とするとの意味)」の精神をたたきこまれた。
「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。非国民とは、戦時中に軍や国策に批判的・非協力的な人を非難するときに使われた言葉だ。 共同通信のインタビューで、こう語っている。「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」。当時14歳だ。
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少年兵、かく戦えり
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「新聞は戦争を美化せよ!」に作家が込めた痛烈なメッセージ 敗戦時に「自決」を考えた軍国少年は、戦争の検証をライフワークに選んだ
1970~80年代の人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者で、児童文学作家の山中恒さん(94歳)が3月、死去した。軍国主義一色だった戦前に少年期を過ごし、敗戦時には責任を取って自殺する「自決」まで考えたという。
戦時期の検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行。当時の社会や子どもの状況、メディアの報道を粘り強く調べ、戦争遂行のために人々の暮らしがどれほど影響を受けたかを伝え続けた。その原動力は何だったのか?)
▽ヒット作の印税で戦時出版物を購入
児童向けのファンタジーからユーモアあふれる作品まで幅広く手がけた。大林宣彦監督の1980年代の人気映画「転校生」や「さびしんぼう」の原作者でもある。
「(ヒット作が続いたので)多額の印税が入った。そのおかげで私はかなり大量の戦時出版物を購入することが出来(でき)た」と著書に記した。児童文学を書きながら、あの戦争について納得いくまで調べたい、という思いも抱き続けたのだろう。
山中恒氏の戦争関連著書の一部
著書には、古書店から届いた目録を見て、気になる資料を片っ端から購入していく様子が記されている。そうして資料を着々と集め、地道な検証に取り組んだのだ。
私自身、戦前の歴史を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たった。関連の著書は30冊以上に上る。残念ながら直接取材したことはなかったが、著書から多くのことを学んできた。
▽昨日まで天皇陛下万歳だったのに今日からはマッカーサーかよ…
山中さんは満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。
当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇(はっこういちう=全世界を一つの家とするとの意味)」の精神をたたきこまれた。
「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。非国民とは、戦時中に軍や国策に批判的・非協力的な人を非難するときに使われた言葉だ。
共同通信のインタビューで、こう語っている。「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」。当時14歳だ。