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ただの猫 2026/05/30 (土) 09:00:06

  お市の方

見出し・・お市の方は「織田信長の実の妹」ではなかった?史料が示す意外な可能性とは?

 戦国時代屈指の美女として知られるお市の方。織田信長の実の妹として、浅井長政や柴田勝家の妻となり、悲劇的な最期を遂げた女性として広く知られている。

 しかし近年、史料を読み解いていくと、意外な可能性が浮かび上がってくる。お市の方は、信長の実の妹ではなかったかもしれない――。この説は本当に成り立つのだろうか。お市の方の生涯と史料を手がかりに、その真相を探ってみたい。

信長より13歳年下の妹として生まれたお市の方
 お市の方が織田信秀の娘として誕生したのは、天文16年(1547)のことである。母は土田御前といわれている。信長が誕生したのは天文3年(1534)なので、13歳年下の妹ということになろう。まずは、一般に知られているお市の方の経歴を整理しておきたい。

 お市の方は、近江小谷城(滋賀県長浜市)主の浅井長政と結ばれた。これは政略結婚である。2人が結婚した時期については諸説ある。将来的に上洛を視野に入れていた信長にとって、浅井氏と同盟を結ぶことは大きなメリットがあった。しかし、のちに長政は越前の朝倉義景と結び、信長に反旗を翻すことになる。

 天正元年(1573)8月、織田勢に攻められた小谷城は落城した。お市の方は3人の娘(茶々、江、初)とともに城を脱出する。その後、お市の方は柴田勝家と再婚したが、天正11年(1583)、羽柴(豊臣)秀吉に居城の北庄城(福井市)を攻撃され、夫とともに自害したのである。

系図に見える「女子」の記載――妹である証拠か
 お市の方を描いた肖像画は、高野山持明院に残っており、戦国屈指の美女として評価されてきた。しかも、その最期は夫と運命をともにしたことから、悲劇のヒロインとして語られることが多い。このように、お市の方は「信長の妹」という立場とともに、歴史の中で特別な存在として記憶されてきたのである。

 ところが、ここに一つの異説が存在する。お市の方は、信長の実の妹ではなかったという説である。『寛政重修諸家譜』には、「女子」としか書かれていないが、長政、勝家の妻となったという注記がある。この記述が、お市の方を示していることは確実である。

 また、ほかの織田氏の系図を見ても、同様の記述が確認できる。これらの史料は、お市の方が信長の妹であったことを示す有力な根拠と考えられてきた。

「実は従妹だった」?『以貴小伝』が示すもう一つの可能性
 ところが、『以貴小伝』という史料には、注目すべき記述が見られる。そこでは、お市の方が信長の従妹であり、信秀の養女(信長の養妹)として長政のもとに嫁いだと記されているのである。

 もしこの記述が事実であるならば、お市の方は信長の実の妹ではなかったことになる。この説は、はたして事実として認めてよいのだろうか。『以貴小伝』は18世紀末から19世紀初頭にかけて成立したとされ、徳川家康から家治までの歴代将軍の生母や側室を記録した史料である。

 史料としての質は良いとされるものの、時代が遡る場合には信憑性に疑問が残ることもある。そのため、お市の方が信長の実の妹ではなかったという説については、現段階では慎重な検討が必要といえるだろう。

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