なぜ日本の国旗は 日の丸なのか
「日」とは太陽の「陽」の事で「丸」とは 〇(円)
つまり「日の丸」とは「太陽」の事
飛鳥時代 女帝の推古天皇で 聖徳太子が摂政の頃 大和朝廷が 小野妹子を遣隋使として 書簡を持たせ 隋の皇帝(煬帝)に書簡を送る
「日いずる処の天子 日没する処の天子に致す 恙なきや」
意味は、太陽が昇る東の国(日本)の天子(推古天皇)が 太陽が沈む西の国(隋)の煬帝に書簡を送る 問題(不満)はないか?
・・という意味 ここから 日本は 太陽が昇る「太陽の国」になる
そして時代は 江戸時代になりオランダと英国が 日本と交易する為 長崎の平戸に オランダ商館 英国商館を設立
しかし英国商館は オランダ商館に競争で「敗れ」英国商館は 長崎平戸から「撤退」してしまう
しかし 英国商館が撤退しても 英国人たちが 日本に「残留」していて江戸時代 薩摩藩の大名・島津の「大名行列」が 横浜の「生麦」という所を通り掛かると
大名行列を知らない」英国人数名が大名行列を「乱してしまう」
その為、薩摩藩士が 大名行列を乱した英国人を・・無礼者として日本刀を「抜刀」英国人数名を「殺傷」してしまう・・これが1862年の「生麦事件」
そのため 英国政府が薩摩藩に「損害賠償」を請求
それに対し 薩摩藩は大名行列を乱した英国人に問題があるとして 損害賠償を拒否する
そのため 江戸幕府が、薩摩藩に代わり 英国に損害賠償する
しかし英国政府は、薩摩藩からは 損害賠償して貰ってないので 海軍立国の英国政府が、薩摩藩に 海軍を派兵
当然 薩摩藩が 海軍立国の英国に「勝てるはずもなく」英国の軍門に下る・・これが1863年の「薩英戦争」
薩摩藩は 海軍立国の英国で 戦艦製造技術を学ばせるため 薩摩藩士っを英国に「留学」させる
そして英国で 船舶建造技術を学んだ薩摩藩士が、薩摩藩に帰国 薩摩藩が 独自に戦艦「昇平丸」を建造し
薩摩藩の代わりに英国政府に損害賠償してくれた江戸幕府に「昇平丸」を献上する
この江戸時代、昇平丸が日本で 最初に「日の丸」を掲げた こうして日の丸が 日本の国旗になる