吾輩の推測通り
稲作は 朝鮮半島の「古朝鮮人」が 日本は縄文時代末期に 日本に稲作を導入
中国では 今から6000年前の「稲作の遺構」が見つかり 中国の稲作が、地続きの「朝鮮半島」に伝わり 朝鮮半島の「古朝鮮人」が稲作
「古朝鮮人」とは 前の投稿で紹介したようにイ・ソンゲ(李成佳)が築いた「李氏朝鮮」から 朝鮮半島は「朝鮮(人)」と言われ それ以前は 名前がないので「古朝鮮人」と言う
つまり 朝鮮半島の古朝鮮人が 日本は縄文時代の末期 日本に稲作を伝える
しかし人間は「動物」なので「古朝鮮人」と 日本の「縄文人」が「まぐあい」混血が誕生
この混血が「弥生人」で、この弥生時代 稲作が日本全国で栽培され「日本人の主食」になった
日本人の遥か遠いルーツは 中国人と朝鮮人 だから平成天皇は 朝鮮と日本は「ゆかりが深い」と述べられていた
だから 飛鳥時代 大和朝廷は 朝鮮人を「朝廷で重用」していた さらに 大和朝廷の「中大兄皇子(天智天皇)」は 朝鮮の百済とは親交関係だった
そのため 中大兄皇子は 百済に2万7000人の援軍を送っている
中大兄皇子に仕えた 藤原鎌足(中臣鎌足)は 朝鮮人だと言われている
見出し・・渡来人が稲作伝えた可能性…朝鮮半島ルーツの土器、近畿北部で初めて確認
兵庫県豊岡市駄坂にある弥生時代の「駄坂川原遺跡」の出土品に、朝鮮半島にルーツを持つ土器が含まれているのを、神戸女子大の斎藤瑞穂准教授(考古学)らの研究チームが発見した。
「稲作の導入」が確認された但馬地域最古の遺跡で、稲作を伝えた集団に渡来系の人物が含まれていた可能性を示す資料になるという。
駄坂川原遺跡の出土品から見つかった朝鮮半島にルーツを持つ土器(写真右は断面)=斎藤准教授提供
朝鮮半島にルーツを持つ土器が出土した駄坂川原遺跡の周辺(兵庫県豊岡市で)
駄坂川原遺跡は六方川の河川内や周辺の農地に広がり、弥生時代を専門とする斎藤准教授らの調査で昨年、
弥生時代前期~中期前半の「米や稲もみ」が見つかった。中国大陸や朝鮮半島から日本列島に伝わった稲作が、この時期に但馬地域にも波及したことを突き止めた。
この調査に関連し、豊岡市が所蔵する過去の出土品を分類していたところ、朝鮮半島にルーツを持つ「円形粘土帯土器」の破片2点が含まれているのが分かった。土器の口部分にかぶせた粘土ひもが丸みを残すタイプで、韓国の研究者とともに朝鮮半島系の土器と判断した。
円形粘土帯土器は、弥生時代前期末~中期初頭(紀元前4世紀)の弥生土器とともに出土し、朝鮮半島との交流を裏付ける資料とされる。
日本海側では島根県や新潟県などで見つかっているが、近畿地方北部で初めて確認した。
斎藤准教授は「但馬地域に誰がコメ作りを伝えたかを考える上で重要な発見になる。渡来人の活動実態は未解明な部分が多いが、農耕の伝播(でんぱ)に何らかの役割を果たした可能性を示唆している」としている。