徐福の墓
和歌山県南部に位置する新宮市は、太平洋の大海原に面し、沿岸を黒潮が流れる温暖な地。そんな新宮の熊野川の河口近くにある蓬莱山は、こんもりと半球型の美しい形をしていますが、今から2200年ほど前、これを見てここに上陸したといわれているのが徐福(じょふく)という人物です。
徐福は秦の始皇帝の命で、東方海上の三神山にあるという不老不死の仙薬を探すために、3000人の童男童女を引き連れ船出。
何日もかけた大航海の末にたどり着いたのが、日本の熊野地方とされています。
徐福一行はこの地で「天台烏薬(てんだいうやく)」という生薬となる植物を発見しましたが、温暖な気候、美しい風景、さらには土地の人々の温かさに触れ、ついに熊野を永住の地と定めます。
そして田畑を開墾しただけでなく、農業や漁業の技術、さらに捕鯨などを伝えたといわれています。
徐福に関する伝説は日本各地で伝えられ、中国でも実在した人物として1980年代頃に学術発表されました。
徐福ゆかりの地が注目されていますが、なかでも新宮は徐福渡来の地として数多くの伝承資料が残っており、悠久の時と遼遠の海を越えた歴史ロマンを感じることができます
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徐福の墓
和歌山県南部に位置する新宮市は、太平洋の大海原に面し、沿岸を黒潮が流れる温暖な地。そんな新宮の熊野川の河口近くにある蓬莱山は、こんもりと半球型の美しい形をしていますが、今から2200年ほど前、これを見てここに上陸したといわれているのが徐福(じょふく)という人物です。
徐福は秦の始皇帝の命で、東方海上の三神山にあるという不老不死の仙薬を探すために、3000人の童男童女を引き連れ船出。
何日もかけた大航海の末にたどり着いたのが、日本の熊野地方とされています。
徐福一行はこの地で「天台烏薬(てんだいうやく)」という生薬となる植物を発見しましたが、温暖な気候、美しい風景、さらには土地の人々の温かさに触れ、ついに熊野を永住の地と定めます。
そして田畑を開墾しただけでなく、農業や漁業の技術、さらに捕鯨などを伝えたといわれています。
徐福に関する伝説は日本各地で伝えられ、中国でも実在した人物として1980年代頃に学術発表されました。
徐福ゆかりの地が注目されていますが、なかでも新宮は徐福渡来の地として数多くの伝承資料が残っており、悠久の時と遼遠の海を越えた歴史ロマンを感じることができます