猫の掲示板

ここで書き込めます / 1283

1313 コメント
views
1283
ただの猫 2026/06/19 (金) 09:45:27

今日の話題から

結局 豊臣秀吉の「跡継ぎ」が原因

豊臣秀吉は 若い頃 寧々(ねね)という女と夫婦になり天下人になり寧々は正室となり北政所㋾言われていた

ところが秀吉と正室の北政所(ねね)との間に「子供(後継ぎ)」が「できなかった」

後継ぎは正室との間に設けた「長男」が 皇太子になり「跡継ぎ」になるのが中国 朝鮮 日本でも「常識」

その為、秀吉は後継ぎを作る為、側室にした淀君との間に「豊臣鶴松」を作る この鶴松は 秀吉の血筋を引いた秀吉の子供で秀吉は 鶴松を「跡継ぎ」にする

正室との間に 後継ぎがいない場合 側室との間にできた子供を「跡継ぎ」にしていた

だから 正室都の間に後継ぎがいない いても病死 戦死する場合があり 主君は 後継ぎを絶やさない為、何人もの側室を抱えていた理由

しかし鶴松は3歳で「病死」 そのため後継ぎを喪う

その為 秀吉は、後継ぎを作る為、姉の息子(甥)の「豊臣秀次」を後継ぎにする

しかし秀次は秀吉の言いなりにならず 秀吉は 秀次に「出家」を命じた為 秀次「自害」

こうして秀吉は、またも後継ぎを失う

この後 秀吉は「朝鮮出兵」 当然 秀吉の家臣たちが 李氏朝鮮を征服するため出兵、ここで「活躍した家臣」が、武闘派の「加藤清正」

しかし李氏朝鮮の国王 宣祖は姑息で卑劣な国王 光海君を身代わりにして安全地帯に逃げてしまい 加藤清正は 宣祖の首を取れず 戦功を上げられなかった

他方 豊臣秀吉は「高齢」で男性機能が衰え 血が繋がった子供(皇太子)を作れず 側室の淀君と 家臣の大野治長との間に子供を作らせ 後継ぎにしたのが「豊臣秀頼」

秀頼は、秀吉とは血の繋がりがない他人の子供 そのため家臣の加藤清正 黒田長政たちは 豊臣秀頼を「跡継ぎとは認めなかった」

然し家臣の「石田三成」は 豊臣秀頼を「跡継ぎとして認め 忠誠を誓っていた」

当然 秀頼を「後継ぎとは認めない」加藤清正 黒田長政と「後継ぎに認めた石田三成」は「対立」

ところが徳川家康も 秀吉の子供ではない豊臣秀頼を「跡継ぎとは認めず」 自分が 天下人になろうとする

そのため 秀吉の家臣で 秀頼を後継ぎに認めず秀頼に忠誠を誓えない加加藤清正 黒田長政などは秀頼に忠誠を誓えず 徳川家康に「寝返る」

こうして豊臣秀頼に忠誠を誓う石田三成と 徳川家康*加藤清正*黒田長政が 秀吉の後継ぎを巡り 関ケ原の戦い

これは徳川家康が 天下人の豊臣家を滅ぼし 家康が天下人になるための戦い

結果 徳川家康 勝利 こうして徳川家康は「関ケ原の戦い」で自分に寝返った加藤清正を肥後の「大名」として召し抱え 黒田長政を福岡の「大名」として召し抱える

この関ケ原の戦いから 徳川家に忠誠を誓った武将が「外様大名」

関ケ原の戦い以前から 徳川家に忠誠を誓っていた武将が「譜代大名」

さらに徳川家康は豊臣家を滅ぼしてしまうため 大阪城に居城していた 豊臣秀頼とその母親・淀君を「大阪夏の陣」で攻め自害させ こうして

豊臣家は 滅亡してしまい・・ 徳川家康は 豊臣家を滅ぼし 天下人になり徳川幕府(江戸時代)を築く

結局 豊臣秀吉が「間違った後継ぎ」にしたのが 全ての「原因」:

どうせ 血の繋がりがない後継ぎなら忠臣だった「石田三成」を後継ぎにすればよかった それでも血の繋がりがない後継ぎなので 加藤清正 黒田長政が 後継ぎ(天下人)を狙い 政権闘争  

通報 ...