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ただの猫 2026/03/14 (土) 17:20:26

  知られざる偉人・・高橋潔

山本おさむ の漫画「わが指のオーケストラ」を見るまで高橋潔の名すら知らなかった

漫画家山本おさむ は 生涯 聾唖児童が人と対話できるよう 生涯をかけて聾唖児童に手話を

教育し続け 死去した高橋潔の生涯を 詳細にリアルに 漫画で紹介したのが「わが指にオーケストラ」

この漫画は 1コマ 1コマが 巧緻繊細に描かれ 空白がない手抜きがない精密な画風でリアル

日本史上に残る最高の教育漫画 感動の名作

この高橋潔が 大阪市立聾唖学校の校長になり 高橋校長の部下で教師だった「大曾根源助」が 米国の3重苦のヘレンケラーに面会

日本にヘレンケラーの指文字を広める・・これについては 以前投稿

次の投稿で 大阪市立聾唖学校の高橋潔校長の 感動的な演説を紹介したい

  高橋潔とは こんな人物

高橋 潔(たかはし きよし、1890年3月17日 - 1958年1月9日)は、日本の教育者。大阪市立聾学校長として、口話法全盛の時代「手話法」の孤塁を守り、後の日本のろう者社会およびろう教育に大きな影響を与えた。

経歴

仙台藩の下級武士の家の次男として仙台市五十人町に生まれる。
1905年に仙台市立南材木町尋常高等小学校を卒業し、東北学院普通科入学するが、1908年に東北中学校第4学年に入学。

1910年に同校を卒業し、東北学院専門部英文科に進学し、英語を学んだ。東北学院在学中に接した西洋音楽に夢中になり、ヨーロッパへの留学を望んだが、家計の苦しさからこれを断念。終生、恩師として慕った、東北学院院長である、D・B・シュネーダーの示唆により、ろう教育者の道を志した

1913年に東北学院を卒業し、東北中学校教諭に採用されるも、翌1914年、シュネーダーに依頼され、大阪市立大阪盲唖学校助教諭となる。同年中に舎監も兼任した。1917年には教諭に昇任し、1924年に大阪市立聾唖学校校長に就任

1929年、東北学院の後輩で大阪市立聾学校教諭であった大曽根源助をアメリカ視察に向かわせる[この年、醜と再婚。1932年、全国盲啞学校長会議において鳩山一郎文相による口話法推進の訓辞が示されたが、高橋はこの席で手話法の必要性を説く演説を行う。また、高橋原作による、ろう者を主人公とした映画「声なき唄」が公開された。1952年、大阪市立聾学校を退職。

高橋は生前より「聾唖者の師父」として日本のろう者社会から絶大な尊敬を受け[9][10]、その生涯は『わが指のオーケストラ』(山本おさむ、1991-1993年、秋田書店)として漫画にもなった。

死去にあたり、従四位に叙せられ、勲四等瑞宝章受勲

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