ただの猫
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2026/02/23 (月) 17:21:31
・・続く
長尾景虎(後の上杉謙信)と 武田晴信(後の武田信玄)について 武田晴信の策士だった「山本勘助」は
長尾虎景は「天才」で 武田晴信は「秀才」だった と書き残している
歴史によると 長尾景虎(後の上杉謙信)は僧侶だったので 春日山城に「毘沙門堂」を設け「毘沙門天」を信仰していたという
長尾景虎が 天才だったのは事実で 上杉謙信は 戦いで 家臣たちと 戦略会議をせず 独断で戦術を 編み出した僧侶であり武将だった
長尾景虎(上杉謙信)は 戦いの際 常に 鎧・兜を付けず「僧衣」を纏い 常に 軍団の先頭の馬にまたがり「観音菩薩像」を携え戦っていた
長尾景虎の 軍旗は 毘沙門天の「毘」
武田晴信(武田信玄)の軍旗は「4つ菱」で 風林火山
武田信玄は「秀才」で 戦いで 家臣たちと 戦略会議していた そして長尾景虎(上杉謙信)と 武田晴信(武田信玄)が
長野県・千曲川の「川中島の戦い」で 5回 戦うが「勝敗は決められず」「引き分け」になる
この「川中島の戦い」で 武田家の日誌「甲陽軍鑑」には 長尾景虎(上杉謙信)は 一人 馬に乗り 武田信玄の「本陣に切り込んだ」と 書き残されているが
上杉家の日誌である「上杉年譜」には 上杉謙信ではなく家臣の 伊豆守(いずのかみ)が 一人 馬に乗り 武田信玄の本陣に乗りこみ 武田信玄に 切り付けたと書き残されている
・・続く
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