・・・続く
他方 鎌倉時代 大和朝廷は「後醍醐天皇」だったが「足利尊氏」は 自分の世を築く為 光明天皇を祭り上げ 後醍醐天皇を京都の朝廷から 追い出してしまう
そのため 足利尊氏から 追い出された後醍醐天皇は 奈良の吉野に南の朝廷「南朝」を築き 光明天皇は
北朝で これが南北朝時代
足利尊氏は 北朝の光明天皇の 威光を借り 征夷大将軍となり 江戸の室町という所に「室町幕府」を築く
しかし 足利尊氏の子孫で「足利義輝」征夷大将軍の時代 室町幕府は「零落に向かう」
そして 越後の長尾景虎は 関東管領だった上杉家の養子となり「上杉謙信」となり 零落していた 室町幕府の征夷大将軍・足利義輝を 一人で「支え続ける」
ところが室町幕府の征夷大将軍「足利義昭」の時代 尾張(現在の愛知県)の「織田信長」が 天下人を狙い 足利義昭 征夷大将軍を 手玉に取り利用する
当然 室町幕府の「足利義昭」と「織田信長」は「敵対関係」
室町幕府は 足利尊氏が 光明天皇を祭り上げた北朝なので 北朝の室町幕府は 最澄が比叡山の延暦寺で 天台宗を 室町幕府が「擁護」していた為
織田信長が「比叡山・延暦寺を焼き討ちの令」を下す そのため織田信長の軍勢が 比叡山の 仏閣をことごとく 焼き払い 僧侶 約3000名を 殺戮
これに 一番「恐れ慄いた」のが 一向宗の 11代法主の「顕如」
一向宗の顕如は 織田信長が 一向宗を壊滅させると思い 織田信長と 一向宗の顕如が「天下分け目の戦い」織田信長の勝利
一向宗 壊滅してしまう
ところが 甲斐の 武田信玄は 京都を支配するため上洛を目指す
他方 尾張(愛知県の西部)の 織田信長の父親だった「織田信秀」が 三河(愛知県の西部)の「松平弘忠」を攻める
そのため 松平広忠は 駿河(静岡県)の「今川義元」に 援軍を依頼する
今川義元は 援軍を送る代わりに 松平広忠の息子 松平竹千代を 人質に取る
この「松平竹千代」が 後の「徳川家康」
ところが 松平竹千代の父親は 家臣から 暗殺され死亡 母親は 三河から逃亡してしまい松平竹千代は 幼くして「両親を失う」
そのため 今川義元は 自分の名前の「元」という文字を 人質にしていた松平竹千代に 名付け
「松平元信」になる
そして 織田信秀の息子「織田信長」と「今川義元」が「桶狭間の戦い」 織田信長が 勝利
そのため 松平竹千代(松平元信)は 天下人を狙う「織田信長」と「結託」する
松平竹千代(松平元信)とは「徳川家康」の事で 天下人を狙う「織田信長」と徳川家康は 連合を組む
そのため 甲斐の武田信玄も 天下人を狙い 同じく 天下人を狙う織田信長と 連合していた「徳川家康」を 滅ぼすため
徳川家康の居城「浜松城」を「三方が原の戦い」で攻める 武田の勢力は 屈指の「騎馬軍団」で 徳川家康は
浜松城を 武田の騎馬軍団から包囲され 浜松城で「籠城を余儀なくされる」
そのため 籠城した徳川家康は 織田信長に「援軍を依頼する」しかし 織田信長は 浅井長政 朝倉義景を滅ぼすため
籠城していた徳川家康に「援軍を送れなかった」
そのため 浜松城に籠城していた徳川家康は 水も食料も尽きてしまい 城門を開け 三方が原の戦いに 出陣する
しかし 武田の騎馬軍団に恐れをなし 馬に乗り逃亡する ここで 徳川家康は 恐怖の余り 馬上で 脱糞したという
‥続き