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ただの猫 2026/02/24 (火) 12:43:38

 日本の歴史

武田信玄と織田信長は 天下人になる為「天下分け目の決戦」

しかし武田信玄は まだ若い武田晴信の時代 側室だった おここ が労咳(ろうがい)=肺結核だったため

結核菌が おここから感染 武田信玄は 若い頃から肺結核を患っていた為 織田信長との 天下分け目の途中

肺結核が 重症化 床に伏してしまう 武田信玄に「野望」は 京都に上洛 京都に 武田の「軍旗」だった「4つ菱(風林火山)を 立て 京都を支配する野望は自分の命より大事だった

そのため 家臣たちは意見が分かれる

ある家臣は・・ 織田信長との天下分け目の決戦を「中止」信玄の治療を 優先させるべき と主張する家臣と

信玄の京都上策を目指す「野望を叶えさせること」こそが 信玄に 忠誠を誓う家臣として取るべき道だよ主張する家臣が 意見対立

結局 京都上洛で 京都に武田の軍旗を 掲げる信玄の野望を 叶えるため 病状の信玄を 籠に乗せ 京都に向かう途上

信玄は 自分の最期を知り 家臣たちに遺言する 

「3人の家臣」に対して 信玄は 父親の「武田信虎」の時代から武田家に忠誠を誓っていた為「謝意」の言葉を伝え

正室のねね との間に生まれた嫡男の「武田勝頼」には 以下のように「遺言」する

「向こう3年間 動いてはならぬ」・・動かざること山の如し(風林火山) 

さらに

「困った事あれば上杉謙信に頼れ」・・上杉謙信は「僧侶」で慈悲深い武将だったため武田信玄は長年の「宿敵」だった上杉謙信を 敵ながら「あっぱれなる武将」として 尊崇していたため

息子の 武田勝頼に「困った事あれば上杉謙信を 頼るよう」に遺言する

そして 信玄 死去・・享年53歳

以上は、武田家の日誌「甲陽軍鑑」から抜粋 この武田家の日誌「甲陽軍鑑」は 武田信玄に仕えていた策士「山本勘助」が 書き残した日誌

しかし 息子の武田勝頼は 父親・信玄の「遺言を無視」

動いた為「織田信長と徳川家康」の連合軍から 追い詰められ 自害してしまう

こうして織田信長は 天下分け目の決戦で 武田信玄が病死したため「不戦勝」となり 織田信長が「天下人」になり 室町幕府が滅亡「安土桃山時代」を築く

・・しかし 天下人になった「織田信長の運命」や如何に?・・続く

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