日本識者は歴史に半可通
なぜ 関が原の戦いで 石田三成が敗れたのか分かっておらず 主君・秀吉の教えを守らなかったなどと妄想
見出し・・・だから関ヶ原の戦いで完敗した…秀吉に「自分と同等に優秀」と認められた石田三成の致命的な欠点
なぜ石田三成は関ヶ原の戦いで敗北したのか。歴史家・作家の加来耕三さんは「三成は、自分とは異なる考え方をする人が、この世の中にいることが理解できなかった。最大の敗因は、師匠である秀吉から、人間関係において最も重要なキーワードを学ばなかったことにある」という――。
■優秀な石田三成が最後に負けた理由
ここでは、師匠を持ちながら成功できなかった例として、石田三成を取り上げることにします。三成は、豊臣秀吉に「自分と能力が変わらないのは三成だ」と評されるほど、その才能を認められ、若くして引き上げられた人物でした。
それほど優秀な三成が、なぜ最後の最後、関ヶ原の戦いで、徳川家康に完敗してしまったのでしょうか。
その最大の敗因は、三成が師匠である秀吉から、最も重要な「人間関係の心得」というキーワードを学ばなかったことにありそうです。
三成は自負心が強く、ひとりよがりと受け取られる性格を、省(かえり)みることをしませんでした。自分が正しいと信じることは疑わず、正義を掲(かか)げれば誰もが無条件でついて来ると考えていました。
しかし世の中は、正義の心だけで人は動くわけではなく、人の心には私利私欲もあれば打算、感情もあります。
三成には他人の心の機微を知る努力が、著しく足りず、相手の感情に寄り添った物言いをする配慮に、終生、欠けていました。せっかく“人たらし”とまでいわれた秀吉を「師匠」に持ちながら、その極意を継承していなかったのは残念でなりません。
師匠の秀吉は、一介の足軽から苦労して成り上がった人物であり――それ以前の10代では3年間、戦国の世を放浪した体験も持っていました。世の中で他人に嫌われることや嫉妬されることの怖さを、秀吉は“世間知”(世渡りに必要な知恵)として熟知していたのです。
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 管理チームへ匿名通報が送信されます。あなたが誰であるかを管理チームに特定されることはありません。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
日本識者は歴史に半可通
なぜ 関が原の戦いで 石田三成が敗れたのか分かっておらず 主君・秀吉の教えを守らなかったなどと妄想
見出し・・・だから関ヶ原の戦いで完敗した…秀吉に「自分と同等に優秀」と認められた石田三成の致命的な欠点
なぜ石田三成は関ヶ原の戦いで敗北したのか。歴史家・作家の加来耕三さんは「三成は、自分とは異なる考え方をする人が、この世の中にいることが理解できなかった。最大の敗因は、師匠である秀吉から、人間関係において最も重要なキーワードを学ばなかったことにある」という――。
■優秀な石田三成が最後に負けた理由
ここでは、師匠を持ちながら成功できなかった例として、石田三成を取り上げることにします。三成は、豊臣秀吉に「自分と能力が変わらないのは三成だ」と評されるほど、その才能を認められ、若くして引き上げられた人物でした。
それほど優秀な三成が、なぜ最後の最後、関ヶ原の戦いで、徳川家康に完敗してしまったのでしょうか。
その最大の敗因は、三成が師匠である秀吉から、最も重要な「人間関係の心得」というキーワードを学ばなかったことにありそうです。
三成は自負心が強く、ひとりよがりと受け取られる性格を、省(かえり)みることをしませんでした。自分が正しいと信じることは疑わず、正義を掲(かか)げれば誰もが無条件でついて来ると考えていました。
しかし世の中は、正義の心だけで人は動くわけではなく、人の心には私利私欲もあれば打算、感情もあります。
三成には他人の心の機微を知る努力が、著しく足りず、相手の感情に寄り添った物言いをする配慮に、終生、欠けていました。せっかく“人たらし”とまでいわれた秀吉を「師匠」に持ちながら、その極意を継承していなかったのは残念でなりません。
師匠の秀吉は、一介の足軽から苦労して成り上がった人物であり――それ以前の10代では3年間、戦国の世を放浪した体験も持っていました。世の中で他人に嫌われることや嫉妬されることの怖さを、秀吉は“世間知”(世渡りに必要な知恵)として熟知していたのです。