猫の掲示板

ここで書き込めます / 598

598
ただの猫 2026/04/06 (月) 16:25:10

  なぜ石田三成は 関ケ原の戦いで 徳川家康に敗れたのか

理由は 主君・豊臣秀吉には 後継ぎがいなかったのが「原因」 歴史家の癖に それすら理解できない文系脳

秀吉は まだ若い頃、木下藤吉郎と言い「寧々(ねね)」と言う女性と夫婦になる

しかし、ねね との間に「子供が出来なかった」

そして 主君・織田信長の忠臣になり立身出世 名前が羽柴秀吉になり 主君の織田信長は 側室との間にできた息子(4男)は 後継ぎにできないので 忠臣だった羽柴秀吉に与え 羽柴秀吉は 主君・織田信長の子供を授かるのは「名誉」で 養子にしたのが 羽柴勝頼・織田信長の子供

これは 次の江戸時代も同じで 徳川征夷大将軍は無数の側室を抱えていたが 正室との間にできた息子が「跡継ぎ」になる皇太子で

側室との間にできた息子は 正室との間にできた皇太子が 病死・戦死して後継ぎがいない場合 側室との間にできた息子に後継ぎさせていた

これは 朝鮮も同じ

だから徳川征夷大将軍は 側室との間にできた子供は「諸藩の大名」に授けていた これは諸藩の大名にとって「名誉ある行為」となっていた

羽柴秀吉は 子供がいなかったので 主君・織田信長は 忠臣の羽柴秀吉に 子供を授けたのである これが「羽柴秀勝」

・・中間省略・・こうして羽柴秀吉が 天下人になり豊臣秀吉

この安土桃山時代~江戸時代の「平均寿命」は 40歳~50歳で 天下人になった豊臣秀吉はすでに 平均寿命の50歳を超えた高齢

現代なら「後期高齢者」で 男性機能が衰え 後継ぎが出来なかった

そのため秀吉は 後継ぎを作るため 側室の淀君と 家臣の大野治長との間に息子を作るよう命じる

そのため 淀君と大野治長は 秀吉の後継ぎを作るため毎晩「まぐあい」それを 秀吉の家臣が「目撃」してしまう

そのため 家臣たちは 大野治長が 秀吉の側室・淀君に「手を出し密会している」と噂される事態になる

こうして 淀君と大野の間にできた息子を秀吉は 後継ぎにしたのが「豊臣秀頼」

この 豊臣秀頼は 秀吉の子供でないので 家臣たちは 正統な秀吉の「跡継ぎとは認めず」

豊臣秀頼に「忠誠を誓わなかった」

これは 朝鮮も同じ 高麗王の血筋を引いていない子供が 高麗王の後継ぎになったため 前の高麗王に忠誠を誓っていた「李成佳」が 今の高麗王は 前の高麗王の血筋を引いていない不正統な高麗王として打倒 李氏朝鮮を築いたように

豊臣秀頼は 秀吉の血筋を引いていない不正統な後継ぎとして忠誠を誓わず「造反」

徳川家康も 豊臣秀頼は、秀吉の血を分けていない不正統な後継ぎとして豊臣秀頼の後継ぎを認めなかった

しかし 秀吉の忠臣だった石田三成は 豊臣秀頼を 秀吉の「後継ぎと認め」豊臣秀頼に忠誠を誓っていた

そのため 徳川家康と石田三成が「対立」

ここで豊臣秀頼を正統な後継ぎに認めず造反していた「秀吉の家臣」たちが 徳川家康に「寝返える」

こうして 石田三成と徳川家康が「関が原の戦い」

この戦いで 秀吉に忠誠を誓い 豊臣秀頼に造反した秀吉の家臣たちが 徳川家康に加担したので 徳川家康 勝利したのである 

そのため 徳川家康は この「関ケ原の戦い」で 秀吉に忠誠を誓い 自分に参戦した秀吉の家臣を「外様大名」として 召し抱える

この関ケ原の戦い「以前」から 徳川家に忠誠を誓っていた家臣が「譜代大名」

通報 ...