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ただの猫 2026/02/25 (水) 12:39:45

父親の遺言を無視  自害した武田勝頼

歴史ほど 錯綜として複雑に絡み合う出来事は他にない できるだけ分かりやすく説明

武田信玄は 若いころ「武田晴信」といい 側室 おここ が労咳(肺結核)だったため結核菌が 武田晴信(武田信玄)に感染

信玄は 若い頃から肺結核を患っていた そして中年になり 天下人を狙い 織田信長と武田信玄が
「天下分け目の決戦」

この途上 信玄の肺結核が 悪化 臨終の床で息子・勝頼に遺言する

「向こう3年間 動いてはならぬ 困った事あれば上杉謙信を頼れ」

この「信玄の遺言」は 信玄の策士だった「山本勘助」が 武田家の日誌(甲陽軍鑑)に書き残している

1573年 信玄 労咳で死去 享年53歳 

その後 今度は「上杉謙信」が 脳卒中で 死去 享年49歳

息子の「武田勝頼」が 武田家を引き継ぐ ところが 信玄の遺言では「向こう3年 動いてはならぬ 上杉謙信を頼れ」とあるが

上杉謙信を頼ろうにも死去・・動かざるを得ない状況」に置かれてしまう

武田勝頼が「動かざるを得ない状況」とは 敵対する「織田信長と徳川家康」の連合が 武田信玄の「死去」を知り

「武田勝頼を攻める状況」に置かれてしまう

そのため武田勝頼は 織田信長と徳川家康を 滅ぼすため「出陣」する

そのため 父親の信玄でさえ落城できなかった 難攻不落の高天神城を 攻める 

 「高天神城」とは

標高132メートルの鶴翁山にあった城で、今川義元によって築城された。山頂の城跡には曲輪、井戸、堀切、などの遺構や、高天神神社があり 難攻不落の城

・・ここで駿河の今川義元と 三河の徳川家康と 尾張の織田信長の「関係」

尾張の織田信長の「父親」である「織田信秀」が 三河の松平弘忠を攻める そのため 松平広忠は 駿河の今川義元に「援軍」を要請

今川義元は、援軍を送る代わりに 松平広忠の息子「松平竹千代」を人質に取る この松平竹千代が 後の「徳川家康」

松平竹千代の父親・松平広忠は 家臣から殺害され 母親は「三河から逃亡」

こうして 松平竹千代(徳川家康)は 両親を失い 今川義元は 松平竹千代に自分の名前「今川義元」の「元」という文字を松平竹千代に授け

松平竹千代が、松平元信になる・・後の「徳川家康」

そして織田信秀の息子「織田信長」と「今川義元」が「桶狭間の戦い」織田信長の勝利

そのため 勝利した織田信長は 今川義元が 人質にしていた「松平竹千代(松平元信)」=徳川家康を 味方に「引き入れる」

そのため「織田信長と徳川家康」の「連合」になる

この織田信長と徳川家康の連合が 1573年、武田信玄の死去を知ったため 信玄の息子・武田勝頼を攻めようとする

だから 武田勝頼は 父親・信玄の遺言「向こう3年動いてはならぬ」を 守りたくとも 守れない状況に置かれてしまう

武田勝頼は、家臣に出陣を命じる そして 今川義元が築城した難攻不落の「高天神城」は 徳川家康が 支配していた為

武田勝頼は 徳川家康が支配していた「高天神城」を攻める  武田勝頼は「父親・信玄でさえ落城できなかった」高天神城を「落城させる」

そのため 武田勝頼は 戦えば「必ず勝利する」という「自尊心」が芽生えてしまい 次は「長篠城の戦い」

しかし「織田信長と徳川家康」の連合は 3000丁の「鉄砲軍団」で 武田勝頼の軍勢を「迎え撃ち」

武田勝頼の兵士たちは 銃弾にバタバタ倒れ 武田勝頼は「多くの兵士を失ってしまう」

そのため 多くの兵士たちを失った武田勝頼は 織田信長と徳川家康の連合と 戦う余力がなくなり 進退 極まり 武田勝頼 自害

こうして 武田家は 消滅に向かう

歴史は フイクションとは違い リアルで興味深い

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