核心がない日本識者
「長久手の戦い」とは何か 全く説明してないので 頓珍漢で、チンころ漢
見出し・・・長久手に武将たちの面影 古戦場記念館、22日オープン・・・合戦の攻防、映像や屏風で
オープンする長久手古戦場記念館
愛知県長久手市に22日、「長久手古戦場記念館」がオープンする。戦国時代に徳川家康・織田信雄の連合軍と羽柴(豊臣)秀吉の軍勢が激突した小牧・長久手の戦いの主戦場跡地で、国指定史跡「長久手古戦場」に隣接して新設された。壮絶な攻防や武将たちの思いを語り継ぐ展示内容となっている。
シアタールームは、左右と正面の3面に迫力のある映像が映し出され、合戦の全容を知ることができる。臨場感あふれる一般向けと分かりやすい子供向けの2種類の映像を制作した。
徳川美術館が所蔵する長久手合戦図屏風(六曲一隻)の復元模写を常設展示し、地形模型に投影したプロジェクションマッピングで両軍の進行や攻防を知ることができる。
通常は入ることができない収蔵庫をガラス張りにして、具足や火縄銃などの収蔵品を間近で見えるようにした。体験コーナーでは、兜や陣羽織を着用して記念撮影ができ、ゲーム感覚で火縄銃の模擬射撃を楽しめる。
自由に利用できる無料エリアには、市内に点在する史跡の位置が一目で分かる床地図が描かれ、武将のグッズや雑貨などを買い求めることができる。
・・「長久手の戦い」とは 織田信長が 忠臣だった「明智光秀」から裏切られ「本能寺の変」で 攻められ「自害」してしまう
この時 信長の長男「織田信忠」も「自害」する
そのため 信長の忠臣だった「羽柴秀吉」と「柴田勝家」は 自分が「天下人」になるため
自分に「都合がいい信長の息子」を 後継ぎにする
本来なら 信長の長男「織田信忠」が 後継ぎになるが通常だが 本能寺の変で 自害したので 後継ぎにならない
そのため 誰を後継ぎにするか「清州会議」を催す この会議で
1)羽柴秀吉は 織田信長の長男(織田信忠)の息子「織田秀信」を後継ぎに 推挙
2)柴田勝家は 織田信長の次男「織田信雄」を 後継ぎに 推挙
ここで 織田信長の「正式な後継ぎ」は 長男の「織田信忠」だが 残念にも本能寺の変で 父親信長と自害したので 1)と2)のように 後継ぎが 分かれてしまう
しかし 長男の織田信忠は、自害して この世にいないので 次男の「織田信雄」が 後継ぎするのが 当然
そのため 次男の「織田信雄」は 自分が 後継ぎになり天下人になるため 父親・信長の盟友「徳川家康」に支援要請
・・歴史は「複雑」で 分かりにくい
徳川家康は 織田信雄の父親・信長とは「盟友関係」だったので 信長の次男「織田信雄」を支援するのが道理 その為
1)織田信雄を後継ぎにする「織田信雄 + 徳川家康」の連合軍
それに対し 羽柴秀吉は 主君・信長と共に本能寺の変で 自害した長男の「織田信忠」を立派な忠臣として称える「信長の家臣たち」が 織田信忠の息子「織田秀信」を 後継ぎとする「羽柴秀吉を味方」
2)織田秀信を後継ぎにする「羽柴秀吉 + 信長の家臣」が 連合
こうして 1)と2)が 三河で「長久手の戦い」
この戦いで 2)が 1)の「織田信雄を成敗」
こうして 2)の 羽柴秀吉が 長男「織田秀忠」の「息子・織田秀信」を 後継ぎにする
これは 羽柴秀吉 自身が天下人になる為の「策略」で 後継ぎになった「織田秀信」を手玉に取り
羽柴秀吉が「天下人の豊臣秀吉」となり 主君・織田信長が築いた「安土桃山時代」を「引き継ぐ」
実際に 織田信長を 引き継いだのは「織田信長の息子ではなく」 豊臣秀吉が「織田信長の天下人」を「引き継ぐ」
戦国時代は 自分が 天下人になるため いかなる手段でもい講じた「権謀術数」の時代