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ただの猫 2026/04/22 (水) 16:46:12

  またも歴史物 

なぜ歴史物が連続するのか NHKの 大河ドラマで放映されている為

テレビは見れないので見たことない

見出し・・・<信長の朝倉攻め敗退>2つのナゾ。本当に這々の体で京都へ逃げ帰ったのか?3万の軍勢はどこに行った?本郷和人が『豊臣兄弟!』を解説

<天下一の補佐役>豊臣秀長の目線で歴史をダイナミックに描く、夢と希望の下克上サクセスストーリー・大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。ストーリーが展開していく中、戦国時代の武将や社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者の本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「信長の撤退」について。この連載を読めばドラマ本編がさらに楽しくなること間違いなし!

<この大河の最重要場面>平伏する大名を前に微塵の笑みもない秀吉・秀長…『豊臣兄弟!』不穏すぎる冒頭シーンがコチラ


◆「逃げ戻ってきた説」への違和感

越前の朝倉義景攻めに失敗した織田信長は、京都へ戻った——。

一般にはそのように説明されます。

しかも多くの場合、「ようやく京都に帰り着いた」「這々の体で帰ってきた」、もっと極端に言うと、「ほんのわずかな馬廻りのみを連れて、逃げ戻ってきた」というニュアンスが付随して語られがちです。

実際に、第十四回「絶体絶命!」では、敵の目を欺くために馬を捨て、険しい山道を越えて京へ向かい、傷だらけの姿で義昭のもとへたどり着く信長の様子が描かれました。

しかし、この理解には違和感があります。

第一に、この時点の京都は、例えば岐阜や清洲のような、信長の「ホッと一息つける拠点」ではありません。

将軍足利義昭を擁してはいるものの、京都は依然として流動的な政治空間であり、言ってみればニュートラルな都市です。

治安維持を司る機能が喪失したとき、罰せられることを恐れない庶民ほど怖い者はない。

それは、徳川家康が本能寺の変の後に命からがら三河へと逃げ帰った「神君伊賀越え」の危険性を想起すれば明らかです。

本郷先生のロングセラー!『「失敗」の日本史』(中公新書ラクレ)

◆京都は「守り」に適していない場所

しかも京都は、防御という点では極めて脆弱な場所です。

周囲を山に囲まれているとはいえ、平野部が広く開け、守りにくい。

歴史的にも京都攻防戦は、攻める側に利があります。

そんなところに「逃げ込めば安全」という発想は生まれません。

この点は後世の動きも裏づけています。

豊臣秀吉は京都に恒常的な防御拠点を築くことを断念し、京都にほど近い伏見に城を置きました。

また江戸時代においても、江戸幕府が京都で用いた二条城は、いわゆる籠城戦を前提とした「城」というより、政治的・軍事的な屋敷に近い性格のものです。

京都という都市そのものが、防御に適した構造ではないことを示しています。

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