鎌倉幕府
この歴史は 鎌倉幕府の前の時代は「平安暗時代」で平安時代は、権力者の「平家(平氏)」の
平清盛が支配していた時代で 平氏の「平安時代」
平とは 人物名で「氏」とは、高い地位を表す称号・・つまり「平氏:の「平清盛」の事
ところが、この平安時代・源という高い地位を持つ「氏」が「源氏」の 源頼朝で 平家の平清盛と源氏の源頼朝が、政権闘争で「源平合戦」
源氏の源頼朝が、勝利。こうして平家の平安時代。崩壊
源氏の源頼朝が、征夷大将軍となる鎌倉に「鎌倉幕府」を築く
しかし敗れた平家の「落ち武者たち」は日本各地に「隠れ潜み」軍勢を立て直し 攻めて来るやもしれないので鎌倉幕府は家臣たちに
平家の「落ち武者」を討伐するよう命じる こうして討伐を命じられた一人に「那須の大八郎」がいて 宮崎椎葉村に隠れ潜む平家の落ち武者・討伐
ところが平家の落ち武者に中には美しい鶴富姫がいて 討伐隊に「那須の大八郎」は一目惚れしてしまう
これを歌っているのが宮崎の民謡「ひえつき節」
・・庭の~~山椒の樹~~! 鳴る鈴かけて~~!
鈴が鳴~~る時きゃ 何と言うて~~出ましょう~~!
駒(馬)に~~ 水やると言うて 出ましょう~~!
こうして椎葉村に隠れ潜む平家の落ち武者たちが出て来た その中には美しい鶴富姫がいて
討伐隊の那須の大八郎は 一目惚れしてしまう;しかし平家の落ち武者を成敗する那須の斎八郎 惚れ抜いた鶴富に涙を浮かべ、別れを告げる
これを歌ったのが「ひえつき節」このように鎌倉時代 世の中が戦乱で それを「鎮めるため」鎌倉幕府は執政官に「北条時頼」を任じていた
そのため執政官の北条時頼は 日本全国を視察
長崎を訪れた時 朝鮮半島の「高麗」は蒙古の「元王朝」から支配されていたので「北条時頼」は今度は。日本が蒙古族から侵略されるち推測する
他方 日蓮宗の「日蓮」も「立正安国綸」で「日本が侵略される」として鎌倉幕府を説得するが 幕府は無視
そして執政官の北条時頼。死去 息子の北条徳宗が「執政官」を引き継ぎ 蒙古族が日本。侵略の「蒙古襲来(元寇)」
この鎌倉時代 朝廷は「後醍醐天皇」で足利尊氏が 自分の世を築くため「光明天皇」を祭り上げ
後醍醐天皇を京都の朝廷から「追放」する 追放された後醍醐天皇は「奈良の吉野に逃げ」南の朝廷・南朝を築く
それに対し。足利尊氏が祭り上げた光明天皇が「北朝」こうして南朝と北朝が対立・・南北朝
そのため南朝の後醍醐天皇に忠誠を誓っていた「楠木正成」と「新田義貞」が 足利尊氏を不忠義者として「成敗」しようとするが。楠木正成も新田義貞も
足利尊氏から 帰り討ちされコロされてしまう
こうして足利尊氏が。征夷大将軍となり 鎌倉の「鎌倉幕府」から、江戸の室町に「室町幕府」を築く
この戦場に成ったところが「鎌倉」で 鎌倉市には 戦場になって残された広大な「雑木林」があり ここを都市化するため「伐採」
日本人は世界一の田舎っぺで、自然を伐採、都市化するセンスがダサい民族