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ただの猫 2026/04/23 (木) 17:00:28

 日本識者は世界一分かりにくい説明

 肝心な「要点が理解されていない」 次の投稿で、分かりやすく説明 

見出し・・幕末に熊本藩士に従い京都などで暮らしていた領民が多数失踪、理由は様々…力士となる者や新選組入隊も

領民が新選組に入隊したことが記されている口書

 幕末、熊本藩士に従い京都など領外で暮らしていた同藩の領民が多数失踪していたことが、熊本大永青文庫研究センターの今村直樹准教授の研究で分かった。この時代、多くの武士が脱藩して志士として活躍したが、同藩の領民や下級武士も藩の支配を抜け出して新選組に入るなど、歴史の激動期に様々な人生を送ったことが史料で確認された。(中村由加里)

 今村准教授は2023年度から、熊本藩で刑事法制を担当していた「刑法方」が作成した細川家文書「口書(くちがき)」を研究。藩領内外で起きた事件の容疑者の供述調書が収録され、記録が残りにくい庶民の動きが分かる貴重な史料とされる。現存する1712年(正徳2年)~1867年(慶応3年)の133冊のうち、幕末期にあたる63年(文久3年)~67年(慶応3年)の全10冊を分析した。

 藩からの逃亡、失踪を理由に罰せられた事件は同期間で60件あり、このうち京都でのケースが10件と多かった。当時、熊本藩は朝廷から京都の護衛を命じられており、藩士の派遣に同行した奉公人らが逃げ出すことがあった。

 泥酔して門限に間に合わなかったり、借金を重ね、家族への面目を失ったりと理由は様々で、恋仲となった京都の女性から引き留められて熊本へ戻らなかった者もいた。失踪後、力士となる者、脅して金銭を奪う「押借り」を行い、治安を悪化させるなどした者もいたという。

 一方で、動乱の時代に志を抱き、翻弄(ほんろう)された者もいた。玉名郡の農民・権之助は、知人から水戸徳川家への仕官話を持ちかけられ、江戸に向かった。しかし、実際は強盗集団の仲間集めだった。

 山鹿郡の郷士(下級武士)・保理井大助は、江戸で中津藩士の福沢諭吉が開いた塾(後の慶応義塾)で学び、現在の熊本県内からの入塾者第1号だった。しかし、遊郭でトラブルを起こし、国元へ移送される途中に仲間と逃亡。新選組に入隊したと記録されている。

 熊本藩では、長州藩の志士・吉田松陰の盟友となった宮部鼎蔵(みやべていぞう)ら多くの武士が脱藩して京都などで活動したことが知られているが、史料からは庶民も藩の枠を飛び出し、様々な人生を送った実態が浮かび上がる。

 今村准教授は「新選組は武士的性格や政治集団としての側面に注目が集まっているが、非政治的な失踪者を多く抱え込んでいた可能性がある」と指摘。「国や政治が変わる中で、いや応なしに人々の生き方が左右された。幕末維新の変動に巻き込まれた人々の姿に思いをはせてほしい」と話した。今後、展覧会を開く予定

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