人は、見かけだけでは分からない
しかし 見かけがいい男に惚れてしまい 男からコロされた5人の女
見出し・・「とにかく女にモテた」「肉体関係を持った相手まで殺害」5人を手にかけた“戦後最悪の連続殺人犯”の正体(昭和38年の事件)
女を惹きつける甘いマスクの裏に潜んでいたのは、冷酷無比の殺意だった――。詐欺と色恋で人心を操り、ついには連続殺人へと堕ちた男・西口彰。人好きのする顔で近づき、5人を殺した男はなぜ「悪魔」へと変貌したのか? 鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の1回目/ 続きを読む )
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作家、佐木隆三の直木賞作品を原作に、1979年(昭和54年)の映画賞を総ナメにした「復讐するは我にあり」。詐欺と殺人を繰り返しながら全国を行脚した緒形拳演ずる主人公は、1963年(昭和38年)に5人を殺害した実在の人物、西口彰がモデルである。
その冷酷極まる犯行に、後の裁判で検察は西口を「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と形容した。
西口彰の人生
西口は1925年(大正14年)に長崎県の五島列島から大阪に出稼ぎに来ていたクリスチャンの両親のもとに生まれた。
3歳のころ五島列島に戻り、父親は漁師、果樹園経営などを経て、1941年に大分県別府市で買い取った温泉旅館を経営。家は裕福で、幼いころ洗礼を受けていた西口も、将来は司祭になるよう父親から命じられ、中学から福岡のミッション系スクールに進んだ。が、厳しい戒律のある寮生活になじめず3年生で中退。
16歳で窃盗に手を染めて以降、20年近く窃盗・詐欺・恐喝などを働き、刑務所の内と外を行き来する。この間、20歳のときに1歳下の女性と結婚し3人の子供に恵まれたものの、別府刑務所を出所した1961年には家族を別府の実家へ預け、福岡県行橋市で理容師の女性と同棲を始めた。
2年後、全国指名手配に
あくまで“悪党”に過ぎなかった男が“悪魔”に変身するのは、それから2年後の1963年10月、37歳のときだ。
日本専売公社(現・JT)職員の村田郁夫さん(当時58歳)が多額の現金とタバコ製品を運んでいたことを知り、同月18日、配達を手伝いタバコ畑まで案内すると近づき、運送会社運転手の森五郎さん(同38歳)がハンドルを握るトラックに同乗。
福岡県京都郡苅田町の山道で車を停め、村田さんを人目のつかない場所に誘い出してハンマーで撲殺し、26万円(現在の貨幣価値で約320万円)の入った財布を盗んだ後、車に戻って森さんを刺殺し、約2キロ離れた峠に車と死体を遺棄した。
福岡県警は、目撃証言などから付近に住む西口彰の犯行と断定。西口を殺人、窃盗などの容疑で全国に指名手配する。
犯行当日の夜、同棲中の理容師女性と福岡市新柳町のホテルに泊まった西口は翌朝の新聞で、すでに自分が捜査対象になっていることを知った。さらに、ラジオで「警察は、関西方面へ逃亡したとみている」と聴くや九州に留まることを決め、佐賀県の唐津競艇で2日間で21万円を稼いだ。
10月23日、管轄の行橋署に西口から署名入りの手紙が届く。
〈前略、手配のとおり、自分が専売公社輸送強盗殺人の犯人である。犯行後、情婦と逃げるつもりであったが、前非を悔いて自殺することにした。警察には絶対に捕らえられない。悪しからず。東京にて 西口彰〉
2日後の25日、香川県警から西口が東京行きのフェリー「瀬戸丸」から投身自殺を図った形跡があるとの連絡が同署に入った。