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ただの猫 2026/04/29 (水) 14:34:00

  大正天皇

見出し・・・大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか―草森 紳一,平山 周吉『大正天皇』

『大正天皇』

◆芸術、政治…才に富んだ君主

大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか。いや、天衣無縫にして自然の極致。文人、書家であり、馬を愛した人であった。

奇行や病弱のレッテルを貼られてきた天皇像をくつがえす本書は、草森紳一の原稿に呼応して、かつて、草森の担当編集者だった平山周吉が新たに論を立てる刺激的な共著となった。

草森は、博覧強記で知られる中国文学の学徒。サブカルチャーに本質的な価値を見いだした。ここでは天皇御製の漢詩や書を足がかりとする。「不幸にも芸術家的体質が備わっていた」とする。天才的な才質があるからこそ、君主らしく生きる辛(つら)さがもたらされたと読める。さらに、天皇を「操り人形」にともくろむ宰相伊藤博文の魂胆を、明晰(めいせき)な天皇が見抜く構図を打ち出す。また、草森は、人を笑わせる才に富んだ天皇を深く愛し、共感している。

第2章では、まず、茶人でかつ多趣味の高橋箒庵(そうあん)を紹介する。高橋は三井財閥の幹部を早々に退いて風雅の道へと進んだ。けれど、天皇の退位は容易には許されない。摂政を立てられるだけだ。高橋と天皇の立場の対比に打たれた。

やがて厖大(ぼうだい)な分量の「原敬日記」の精読に行きつく。無趣味な原と、天皇の交情。明治美術会の展覧会を背景に、天皇、高橋、原、三者の生き方が交錯するが、この章は未完である。

昭和史、映画史を深く読み解く名手、平山による第3章。意外にも、思想家保田與重郎(よじゅうろう)を呼び出す。天皇の和歌について「畏れながら、かなしい。しかも藝術的に見れば、繊細絶妙絶佳の名品である」。君を仰ぎ見る保田の評であった。

第4章、天皇は大胆に政治に介入する。「軍部大臣現役武官制」から、現役軍人であることを削った官制の改正に、天皇が政治的意思を強く働かせた。天皇の内心を描いてスリリングである。

徹底した文献調査。日記の行間に、想像力を働かせる方法論。さらに横滑りを怖(おそ)れず、周辺の人物を召喚していく手際。雑文家としての誇りが、本書を貫いていた。

・・・明治政府とは何か?

日本識者は 歴史に「無知」で 歴史資料を持ち出し 解説

明治政府とは 徳川幕府の中期から 幕府の「財政が逼迫」したため、幕閣の老中・松平定信が「質素倹約令」を発令

諸藩の大名の「俸禄を削減」 長州藩・薩摩藩の大名は「外様大名」で幕府から「冷遇」されていたので

長州藩・薩摩藩の大名は 俸禄削減されてしまう

そのため 長州藩、薩摩藩の大名に仕えていた「下級武士の藩士」たちは俸禄削減で 生活難に陥り 食い詰め浪人になり

長州藩や薩摩藩の食い詰め藩士たちが「こんな徳川幕府の世より 天皇の世がマシだ」とする「尊王攘夷論」

「自分たちの世」を築くために徳川幕府を「倒幕」 明治政府を築き「尊王攘夷の世」を築くため 天皇を祭り上げたのが 

長州藩の藩士「伊藤博文」が祭り上げた「明治天皇」・・だから「明治天皇の世」で「明治時代」

つまり伊藤博文は、鎌倉時代「足利尊氏」が「光明天皇」を 祭り上げ光明天皇の

「威光を利用」して、足利征夷大将軍に成り「室町幕府」を築いてように

伊藤博文も尊王攘夷で「明治天皇を祭り上げ」明治天皇の「威光を利用」して 日本で「最初の総理大臣」になる

しかし 明治天皇「崩御」 

明治天皇の息子の「嘉仁」が 明治天皇を引き継ぎ 明治時代が大正時代になり「大正天皇」になる

しかし 大正天皇(嘉仁)は、生まれながら「病弱」で、弟の「裕仁」が「摂政」となり大正天皇をサポート

だから 大正天皇は日本の治世を行ってなので 大正天皇は表舞台に立っていなかったので 大正天皇は「有名になっていない」

そして大正天皇・崩御

弟の「裕仁」が「昭和天皇」に即位・・「昭和時代」になる

何処で天皇は即位していたのか? 京都御所の「紫宸殿」で 天皇の即位式

天皇は 明治政府が「尊王攘夷」で 天皇を「現人神」に 祭り上げたので

人民たちは 現人神である天皇の「顔すら見られない」身分

昭和天皇が、京都御所の紫宸殿での即位式で 人民たちは 京都御所の「外で待機」していて

昭和天皇の即位式が終わると 京都御所に入場が許され 天皇が即位式で「座っていた椅子」・・「高御座(たかみぐら)」に向かい

天皇陛下=! 万歳! 万歳! 万歳三唱

こうして日本人民は 昭和天皇に「絶対服従」で 天皇に忠誠を誓い1941年 米国と「太平洋戦争」

1945年、日本敗戦

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