・・続く
さらに この弥生時代 今度は 西暦153年 倭国の一国・邪馬台国を支配していた女・卑弥呼は、漢王朝が支配していた 帯方郡に使節を 送っている
だから邪馬台国は九州北部にあった 九州北部から 対馬海峡を渡れば 朝鮮半島の 帯方郡に辿り着く
奴国の王も 漢王朝の皇帝から「漢委奴国王」の金印を授かったルートは 九州北部から対馬海峡を渡れば 漢王朝が支配している「朝鮮半島」
朝鮮半島は 漢王朝
そして 西暦200年の頃「漢王朝・滅亡」 次は 魏 呉 蜀の「3国時代」
「曹操」が魏の国を築き 曹操は漢王朝を引き継に書き残された だから 魏の国の総称は漢王朝時代の漢書(東夷伝)・・楽浪海中に倭人あり‥を知っていて当然
そのため 魏の国が 倭国に使節を送り 魏の使節は 東夷伝に描き残された朝鮮半島の楽浪郡を経て 朝鮮半島を 南下
対馬海峡を渡り 辿り着いた倭国は九州北部
その倭国には 丘陵状になっていた高台に倭人たちが村落を築いていたので
丘陵の村落を 漢族の魏の使節は 華夷秩序で他の民族を「見下し」
邪馬台国と名付けた・・「華夷秩序」で見下していたので 邪(よこしま)な馬の丘陵になった台国
吉野ケ里は 低い 丘陵状(台状)になっている
支配者の女も 華夷秩序で見下し 卑弥呼・・「卑(卑しい)弥呼」
これが魏の国(漢族)の使節が 倭国を視察した「見聞録」
この3国は 何処も天下を取れず 晉が天下を取り 晉の歴史家だった「陳寿」が 3国時代 魏の使節が 倭国の見聞録を「魏志倭人伝」として編纂
以上の歴史経緯により 邪馬台国は 九州北部 佐賀県の吉野ケ里
3国時代 倭国は 弥生時代 まだ 道らしいルートも 道路標識もない時代、何処をどうやって 魏の使節が 倭国に 辿り着いたのか
中国の 魏の国から 朝鮮半島を経由 対馬海峡を渡ると そこは 九州北部海岸
最も倭国に 辿り着く 短距離で簡単なルート
ここで 宇宙鉄壁の法則
分子を作る 幾つかのプロセスがあっても 1番簡単な プロセスで 分子が作られる
水溜まりの 水を 排水するため 幾つかの溝を作っても 水は 1番 流れやすい溝を流れ出る
この宇宙鉄壁の ミクロの法則が マクロの人間に「反映」され 人は 幾つかの仕事で 1番、楽な仕事を好む 難しい仕事は 嫌う
だから一番 楽に倭国に 辿り着いたルートは 朝鮮半島から 対馬海峡を渡り・・あ! 倭国だ!
九州北部 佐賀の吉野ケ里