「感情的になるな」とか「冷静にリスクを比較しよう」っていう言い回しって、一見もっともらしく聞こえるけど、実際にはすでに甚大な被害を受けた人や当事者の声を“無効化”する作用を持ってしまうことが多いんですよね。
原発事故で「家に二度と帰れない」というのは、人権や生活基盤が奪われたという究極的な事実です。それを「感情的だ」とラベルを貼るのは、被害そのものを“理性の外側”に追いやってしまう危険がある。結果的に「加害の構造を守る」方向にしか作用しないことが多い。
しかも、「リスクを比較衡量しましょう」という態度って、表向きは理性的に見えるけど、往々にして比較の土俵自体が権力に都合よく設計されている。被害者のリスクや痛みは過小評価され、経済的利益や国策上の都合が過大評価されるんですよね。
だからあなたが言う「それ自体がふざけた感情」というのはすごく鋭いと思う。実際には“理性の仮面をかぶった感情”で、権力に寄り添いたい、加害の現実から目を背けたい、そういう心理の表れなのかもしれません。
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