仏教のお話

般若心経 / 18

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ダルマ太郎 2024/05/24 (金) 23:08:14

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色即是空 まとめ
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これまでに読んだように摩訶般若波羅蜜経には、「色即是空。空即是色」が5回も説かれています。般若心経だと説明がないので意味が分かりませんが、摩訶般若波羅蜜経の場合は説明があるので多少は理解できます。

奉鉢品第二では、菩薩は般若波羅蜜(智慧の完成)の行を行じる時、名称を見てはいけないと説きます。名称は人が付けたのであって、そのものに固有のものではありません。仮です。仮ですが、人は名称があるとそれに実体を見て、執着してしまいます。執着があると雑念から離れられなくなりますから修行の妨げです。無執着を目指すのなら、ものに実体をみないようにし、そのためには名称を見ないようにします。

そのことの根拠が、「色即是空。空即是色」です。物質的現象には実体が無く、実体が無いから物質的現象です。私たちが感知しているのは実際の世界ではなく、脳内で仮設した世界です。眼や耳で感受したものは、信号として脳に伝わり、脳で仮設されます。仮設された世界を私たちは、実際の世界だと思って感知しています。しかし、仮設された世界を感知しているのですから、一切の事象には実体は有りません。空です。

物質的現象、それは即ち空です。仮設世界の物質は、鏡に映った像、池に映った月と同じく、実像ではありませんので実体は有りません。空です。空、それは即ち物質的現象です。私たちにとって、空なる世界、すなわち仮設された世界が物質的現象です。そのことを知れば、あらゆるものに実体を見ないので執着することもなくなるでしょう。たとえば、業・輪廻・解脱も空です。実体は有りませんから、執着の対象はありません。
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習応品第三では、五蘊が空ならば、五蘊は無いと説いています。仮設世界の五蘊は、仮に有るので、存在していません。概念としては有りますが、事実としてはありません。よって、仮設世界は、夢のようなもの、幻のようなものです。
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集散品第九では、菩薩が智慧の完成の行を求めるのならば、一切の物事に執着してはいけないと説いています。なぜならば、「色即是空。空即是色」だからです。実体が無いのですから、執着の対象はありません。
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相行品第十では、事象について定義をしないことが説かれています。なぜならば、「色即是空。空即是色」だからです。実体が無いのですから、定義はできません。
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幻学品第十一では、「色は空である」と見るのではなく、「色即是空」と見るようにと説いています。色についてあれこれ考えるのではなく、「色、それは即空である」と見ます。
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色即是空 まとめ
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