六波羅蜜
菩薩の弟子たちには、六波羅蜜を説いて、智慧の完成へと導きました。智慧を完成させれば成仏できますので、仏は菩薩を成仏へと導いたわけです。菩薩とは、ボーディ・サットヴァ bodhi-sattva の訳で、「覚り+人」という意味です。「覚ることが決定している人」「覚りを目指す人」「覚りへと導く人」などの意味があります。法華経には、二種類の菩薩が登場します。三乗の菩薩と一乗の菩薩です。三乗の菩薩とは、菩薩ではあるけれど慈悲と智慧が足りないために、声聞衆と争う者たちです。声聞たちは、自分たちの成長のことしか考えていないので劣った修行者だと攻撃しました。一乗の菩薩は、声聞・縁覚・菩薩という区別をせず、また争いをしません。無分別であり、無諍です。
菩薩には、六波羅蜜の修行を勧めました。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という修行です。布施とは、与えること・分かち合うことです。持戒とは、戒を守ることです。忍辱とは、感情をコントロールすることです。精進とは、布施・持戒・忍辱の行を繰り返し続けることです。禅定とは、精神を統一し集中して、布施・持戒・忍辱・精進している日々を振り返ることです。智慧とは、禅定によって妄想から離れ、深く思惟し、観察して、気づき・察し・閃き・覚ることです。波羅蜜とは、「完成」のことです。布施を行い、そのことを思惟・観察することによって智慧を得ることによって、布施は完成します。これを布施波羅蜜といいます。最終的には、智慧を完成させ、智慧波羅蜜を得ることが六波羅蜜の目標です。智慧波羅蜜とは、般若波羅蜜のことですから、般若経の大きなテーマになっています。
声聞の修行とされる八正道との大きな違いは、六波羅蜜には布施があることです。自他を分別せずに、無分別の境地に入るには、慈悲の心が必要であり、慈悲を行動に表すのが布施だからです。持戒は、初期仏教の時代から重視される行です。在家であっても、五戒を守る必要があります。五戒とは、生き物を殺さないこと・盗まないこと・邪な性行為をしないこと・嘘をつかないこと・お酒を飲まないことです。仏教教団においては、入団する時に三帰五戒を誓います。仏法僧に帰依し、五戒を守ることを長老たちの前で誓い、その誓いが認められた者が仏弟子になります。ところが、日本の仏教界ではこの入団の誓いをしていないところが多いため、五戒を守ろうという意識が欠けています。特に禁酒に関しては、無視されています。僧侶でもお酒を飲み、美味しい肉を食べ、異性と共にする人が多いのではないでしょうか。忍辱とは、感情のコントロールのことです。怒り・悲しみ・憎しみ・嫉妬・悦びなどの感情に心が支配されることなく、平常心を保ちます。
仏の教えとは、「諸々の悪いことをせず、諸々の善いことをし、心を浄めること」だといいます。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」です。布施は、「諸々の善いことをし」であり、持戒は、「諸々の悪いことをせず」であり、忍辱は、「心を浄めること」に当たります。よって、この三つの行は重要なので、禅定や智慧が分からなくても続ける方がいいです。