仏教のお話

Rの会:法華経序品第一 / 5

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ダルマ太郎 2024/04/09 (火) 22:29:33 修正

他土六瑞

此の世界に於て尽く彼の土の六趣の衆生を見、又彼の土の現在の諸仏を見、及び諸仏の所説の経法を聞き、竝に彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸の修行し得道する者を見、復諸の菩薩摩訶薩の種々の因縁・種々の信解・種々の相貎あって菩薩の道を行ずるを見、復諸仏の般涅槃したもう者を見、復諸仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る。
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そのため六道を輪廻して迷う凡夫の姿や、それらの人々を救う仏の姿、修行者たちや菩薩たちの姿、そして仏が涅槃に入り、仏滅後、仏を讃嘆し供養する人々の姿などが見えるのでした。
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この世界にいながらにして、他方の世界で迷い苦しんでいる人々を見、また、他方の世界で活躍されている諸仏を見、また、諸仏が様々な教えを説いているのを聞き、また、他方の世界の出家修行者たちや在家修行者たちが、様々な修行をし、道を得るのを見、また、菩薩摩訶薩たちが、様々な体験、様々な信心と理解、様々な様相を具え、菩薩の道を行じているのを見、また、諸仏が、完全な涅槃に入られるのを見、また、諸仏が完全なる涅槃に入られた後に、仏の遺骨を納めて七宝の塔を建てるのを見ました。
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他土の六瑞とは

~他土(東方萬八千世界・未来の世界)
➊六道輪廻する衆生が見えた
➋諸仏の姿が見えた
➌諸仏の説法の声が聞こえた
➍出家・在家修行者の修行の結果を見ることができた
➎菩薩が菩薩道を行ずる姿が見えた
➏諸仏が涅槃に入り、人々が塔を建て、仏を供養する姿が見えた
※ 東方の世界とは、「未来の世界」

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東方=未来?

Rの会では、東方を「未来」のことだと解釈しているようです。東とは、プゥールヴァ pūrva の訳であり、「東」「前方」「過去」などの意味がありますので、私は過去のことだと解釈しています。サンスクリットの辞典でも、東・過去と書いています。
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サンスクリット語

仏教の経典の多くは、サンスクリット語かパーリ語で書かれました。大乗仏教の経典は、サンスクリット語です。サンスクリット saṃskṛtam とは、「正しく構成された(言語、雅語)」という意味であり、その言葉自体が言語を表すために、サンスクリットという表記でもいいのですが、日本では、通常、サンスクリット語といいます。

紀元前十五世紀頃から編纂されるようになった「ヴェーダ」という聖典は、ヴェーダ語が用いられており、ヴェーダ語を基にして紀元前五世紀頃にサンスクリット語ができました。ヴェーダは、バラモン教の聖典です。カースト上位のバラモン(司祭)、クシャトリア(王族)しか唱えることはできません。もし、下位のシュードラ(奴隷)などが唱えれば、熱して溶かした金属を耳の中に流し込むなどの罰が与えられました。よって上級の言葉だとされました。雅言葉です。

サンスクリット語には文字はありません。あるのは音だけです。ヴェーダ聖典は、師から弟子へと口伝で伝えられました。仏教の経典も口伝です。釈尊は、一部の上位カーストの人にしか伝わらないサンスクリット語を使うことを禁じ、その地域の民衆の言葉で布教するように教えていましたが、釈尊の死後、数百年もするとサンスクリット語が使われるようになり、サンスクリット語で文字化されました。サンスクリット語は、発音がきちんとできるのであれば、表記する文字には制限はありません。ブラーフミー文字、デーヴァナーガリー文字、ラテン文字などを使っています。

サンスクリット語は、インド・ヨーロッパ語族です。英語に近い言語なので、それを中国語にするのは大変な作業です。文法が違うし、単語に共通性がありません。インドの思想と中国の思想は大きく異なるので、訳しようがない単語がたくさんありました。無我や空などは、特に分かりにくかったようです。鳩摩羅什によって、教育がされるまでは、中国での仏教は混乱していました。日本でも混乱があり、その影響は今でも続いています。

インドから中国、中国から日本。異文化の教えがすんなりと分かるはずはありません。よって、経典を読む場合は、仏教辞典が必要です。無我を知るためには、我という言葉の意味を調べる必要があります。日常で使っている意味とは異なります。我とは、アートマン ātman の訳語だからです。中国には、アートマンという概念がなかったため、それを表す言葉もありませんでした。そこで、「我」という字を借りて使うようにしました。我とは、円状の武器のことですので、字の意味とは合いません。アートマンを知りませんから、それを否定する無我については、知りようがありません。何が無いのだろう? と思うばかりです。

アートマンは、インド思想の核となる思想ですので、バラモン教やヒンドゥー教だけでなく、仏教・ジャイナ教などでも根本の教義です。しかし、インドでは常識的な概念でも、インド以外の国では知られていません。想像で意味づけができない概念なのです。それなのに、仏教の解釈本の多くは、自分勝手な解釈をしています。これは、仏教の教えを歪める結果になるだけです。中には、自分の宗派や教団の思想や行動を正当化するために、仏教用語の意味を変えて本にするところもあるので要注意です。

素人は、その解釈が正しいのか誤りなのかの判断がつきにくいです。なので、仏教辞典を持っておいた方がいいです。辞典を引くくせを身につければ、誤った解釈を見破れます。理想としては、経典を読み、出てきた単語は片っ端に辞典を引いて調べ、用語にはサンスクリット原語が書かれていることが多いので、できればサンスクリット辞典で意味を調べるのがいいです。下記のサイトは、使いやすいのでお薦めです。

https://www.manduuka.net/sanskrit/w/dic.cgi

現在は、サンスクリット語経典の現代語訳もでています。法華経の場合は、植木雅俊氏による、サンスクリット原文とその現代語訳、鳩摩羅什訳の訓読を見開きにした本が出ています。少なくとも解釈者は、学んでおいた方がいいと思います。
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