仏教のお話

仏教随感 / 3

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ダルマ太郎 2024/04/15 (月) 21:03:09 修正

空について
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(くう)とは、サンスクリット語のシューニャ śūnya、または、シューニャター śūnyatā の中国語訳です。シューニャが形容詞で、シューニャターが名詞です。サンスクリット語の場合は、形容詞と名詞の違いが分かりやすいのですが、漢訳では分かりにくいです。名詞形のときに、「空性」ということもありますが、ほとんどの場合は、「空」と書かれています。
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空とは、無自性(むじしょう)と同じ意味です。自性とは、スヴァバーヴァ svabhāva の訳であり、「それ自身で存在する本体」のことです。西洋哲学の「実体」と同じ意味なので、現代は自性のことを実体と言い、無自性のことを「実体の欠如」と言っています。このブログでも実体という言葉を使うことにします。
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空とは、もともと「欠如」の意味でしたが、大乗仏教で「実体の欠如」という意味で使われるようになりました。これは、上座部の説一切有部(せついっさいうぶ)が、「人無我。法有我」を称えたため、それを否定するために使われた言葉です。人は無我だし、法には実体がないので、「人無我。法無我」と言い、後に一切法空といいました。説一切有部は、その名の通り、「法有」を説くので、大乗仏教とは対立しています。
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般若心経
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大乗仏教徒は、空の理を弘めるために、多くの般若経を編纂(へんさん)し、世に出しました。しかし、その内容は難しく、意味不明の文章が続くため、あまり理解はされていなかったようです。たとえば、日本でも有名な般若心経の内容は深淵であり、一般人には理解不能です。なぜなら、般若心経は、二万五千頌般若経の抜粋だからです。ただでさえ難解な経典の抜粋を読んでも、ほとんどの人は理解できないでしょう。僧侶や教団の教育担当者でさえも、分かっていないので、中にはとんでもない解釈をする人もいます。
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「色即是空。空即是色」という言葉は、ほとんどの人が聞いたことがあると思います。でも、意味を知っている人はわずかです。二万五千頌般若経を読みもせずに解釈している人が多いために、自分勝手な解釈をしています。空を霊界だと解釈したり、エネルギーだと解釈したり。実体が無い、という意味から離れてしまっています。霊界にせよ、エネルギーにせよ、そのような名で呼ばれているのであれば、それは空の事ではありません。空は、絶対的に認識の対象にはなりませんから、名前を付けることはできません。「空」というのも仮であり、空もまた空です。サンスクリット原文では、「色即是空。空即是色」は次のように表されます。
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yad rūpaṃ sā śūnyatā
ya śūnyatā tad rūpaṃ

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物質、それは空である
空、それは物質である

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物質は、因縁によって仮に有りますので、実体は有りません。空です。空とは、実体のないことなので、固定化することはありません。よって、さまざまな物質として生起することができます。「リンゴはリンゴではありません。よってリンゴといいます」という文章は変です。これは、「リンゴにはリンゴという実体は無い。よってリンゴという名も無い。人が便宜上、仮にリンゴという名をつけ、共有し、使っているに過ぎない。リンゴには、固定した名が無いから、仮の名をつけることができる」。よって、物質に実体が有れば、それは固定して存在し続けるので、変化することはありません。種はずっと種だし、実はずっと実のままです。物質が固定化せず、変化し続けるのは、物質が空だからです。
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無我や空は、日本人の概念にはありませんから、新しい思想だとして受け入れるしかありません。自分の考えだけで定義できるような内容ではありません。「色即是空。空即是色」という言葉だけを切り取って考えれば迷走します。ちゃんと全文を読んでから吟味しましょう。般若心経には、「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。」というように、五蘊(ごうん)の色以外の受想行識についても空であると説いています。また空であるから、受想行識が生起するとも書いています。五蘊とは、物質的現象・感受作用・想起作用・意志作用・認識作用のことです。身体と心のことです。色即是空。空即是色だけでなく、それらについても考える必要があります。
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空について
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