仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 13

41 コメント
views
13
ダルマ太郎 2024/04/28 (日) 23:41:25 修正

:
相性体力作因縁果報について 2
:
:
6.(いん) ヘーツ hetu
:
因とは、ヘーツ hetu の訳です。原因・理由・動機のことです。花が香る時、その主体は花ですから、因とは花のことです。花が香ることが結果です。花は香りという力を発動して、風や温度などの環境を縁とし、さらに香りをかぐ縁を得て、はじめて花が香ります。
:
:
7. (えん) プラトヤヤ pratyaya
:
縁とは、プラトヤヤ pratyaya の訳です。プラトヤヤも原因という意味なのですが、仏教では、結果に至る原因は一つではなく多数であると観ますので、主原因を因といい、主原因を助ける原因・条件を縁といいます。合わせて因縁です。よって、因は一つですが、縁は多数あります。深く観察すれば、縁は因以外のすべてのことです。
:
十如是の場合、一つの現象を観察します。「花が咲く」という現象を観て、そのことの相性体力作因縁果報を観ます。よって、「花が咲くことの縁」を観ます。花が咲いたことによって、他にどのような縁となるかを観るのです。花が咲けば、人はそれを見るし、蜂や蝶は蜜を吸いに来ます。そのように、それがどのような縁になっているのかを観察するのですから、「花が咲くことの縁は、水・光・温度・空気・養分・堆肥だ」というような見方ではありません。
:
:
8.() パラ phala
:
果とは、パラ phala の訳です。結果という意味です。今、この瞬間を切り取れば、すべての物事は、因としても、縁としても、果としても観ることができます。しかし、普通、私たちが見ているのは結果です。
:
:
9.(ほう) ヴィパーカ vipāka
:
報とは、ヴィパーカ vipāka の訳です。通常、果報といいます。結果とは、花が咲く、花が香るというような状態のことですが、果報とは境界のことをいいます。境界とは、苦楽、もっと分ければ、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上という境界です。花が咲いているということは、きちんと育った成果でしょうから、楽の境地、天上界にあるといえます。もし、成長の段階で枯れている草があれば、それは苦の境地、地獄界にあるといえるかも知れません。
:
よく報を時間経過として観る方がいますが、この十如是は、瞬間的にそのものを十の視点で観察しているのですから、時間という概念は必要ありません。相性体力作因縁果報等は、時空の一点についての観察です。もちろん、他との関わりはありますが、観る対象は一つです。
:
:
10.本末究竟等(ほんまつくきょうとう) サマ sama
:
等というのは、等しい、平等のことでしょうから、サマ sama の訳だと思います。相性体力作因縁果報は、それぞれに違って見えるけれど、究めれば平等だということでしょう。すべては空ですから、仮に相性体力作因縁果報と分けて観察しても、究めれば平等だということです。
:
:
相性体力作因縁果報について 2
:

通報 ...