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十如是について
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太郎論:天台教学では、読経の時、十如是を三回読みます。これは、三諦(空・仮・中)の義に配したものです。
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是相如(是の相も如なり)=空 この相も真理である
如是相(是の如きの相)=仮 このような相
相如是(相も是の如し)=中 相もこのようである
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事象の真理は空であり、このような事象は仮であり、事象は縁起によって有るので、実体は有りません。龍樹の場合、中とは「非有非無の中道」なのですが、天台では、「有空の中道」で解釈しています。私たちが、相性体力作因縁果報と観ているのは、仮であって実体は有りません。特徴は空だし、自性は空だし、体は空です。力作因縁果報も同様に空です。すべてが空なので、「本末究竟等」だと説きます。
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事象を観察し、真理を覚るのです。諸法の実相を知ることによって、すべての事象が、一つの真理から生じていることを知見します。逆に言えば、「一つの真理から、無量の事象が生じる」ということです。応身仏である釈尊は、言葉によって人々を真理へと導きましたが、法身仏は、現象によって人々を真理へと導きます。現象を方便と観ることが鍵です。
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説法の初めに、法身仏のことが出てくるので、聞いている人たちは、皆、意味が分かりませんでした。智慧第一の舎利弗でさえも、この時点では、理解していません。この後の説法で、徐々に法身仏のことが明らかになっていきます。
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十如是について
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