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百千万億無数の諸仏
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太郎論:百千万億無数というのは、百×千×万×億×無数 というように、すべての積です。無数が入っていますので、数えきれないほどの数です。仏は、過去において、無数の仏に親近したといいます。仏は、滅多に現れないのに、無数の仏に出会ったとはどういうことなのでしょう? たくさんの仏に出会ったということなのでしょうが、あまりにも数が大きいですね。おそらく、この場合の仏とは、応身仏なのでしょう。真理によって現象がありますが、真理のことを法身仏、現象のことを応身仏といいます。多くの諸仏とは、自然界に現れた自分を導く存在の事なのでしょう。そういう存在を仏と見て供養・恭敬・尊重・讃歎することは大事なことだと思います。
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勇猛精進
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太郎論:勇猛精進とは、自らが進んで励み、勇敢で努力を続け怠らないことです。サンスクリット原典では、クルヤ・ヴィーリヤ kṛta-vīrya です。「勇敢に行動する」という意味です。
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名称普く聞えたまえり
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太郎論:有名になることによって、多くの人々が教えを聞きに来ます。
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甚深未曾有の法
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太郎論:「非常に奥深く、見聞したことのない真理」という意味です。つまり、妙法のことです。
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宜よろしきに随って説きたもう所意趣解り難し
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R論:すなわち〈方便〉によって(真理を)お説きになることです。方便の教えを聞いた人は、それによって幸福の階段を一段上ったことは確かなのですが、たいていそれで満足してしまうために、仏の真意がずっと上にあること(すなわち、すべての人を仏の境地まで引き上げたいという最終目的)に気がつかないのです。この『所意趣解り難し』というのは、(真意を)理解しにくいというのではなく、〈気が付かない〉という意味です。
太郎論:宜しきに随って説きたもう所とは、「
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百千万億無数の諸仏
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