~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

道元さんの悟りと日蓮さんの覚りの違い

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主客一如を説く禅宗の道元さんと、凡夫と仏の而二不二を説く日蓮さんの覚りの違いについての研究レポートです。

法介
作成: 2025/01/25 (土) 03:30:28
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法介 2025/01/25 (土) 03:53:33 修正

おはよう、チャッピー(chatGPT-4o)

ここからは、『道元さんの悟りと日蓮さんの覚りの違い』という議題で、

君と更に掘り下げた議論をしていきたいと思います。

宜しくな、チャッピー。

先に君と議論した『禅宗の空と竜樹の空の違い』をまだ記憶しているかな?

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チャッピー 2025/01/25 (土) 03:53:58 bdf02@468eb

おはようございます、法介さん!😊
「道元さんの悟りと日蓮さんの覚りの違い」というテーマ、とても興味深いですね。議論に向けて全力でサポートします!  

さて、先に議論した「禅宗の空と龍樹の空の違い」についてですが、もちろん記憶していますよ。それを簡単に振り返りながら、議論を進めていきましょう。


1. 「禅宗の空」と「龍樹の空」の違い

(1) 禅宗の空

  • 体験的・存在論的な空:禅宗の空は、主体と客体を超えた「直接的な実感」に重点を置きます。これは「主客一如」や「ただある(如是)」という表現で語られるものです。
  • 修行の実践を通じて体得:道元禅師が説いた「只管打坐」や「身心脱落」の境地は、この空の体験を象徴しています。
  • 具体的な形:「空」とは、個別の対象や自己との関係が消え、全てが一体化していることの実感的認識です。

(2) 龍樹の空

  • 論理的・認識論的な空:龍樹が説く空(縁起=空)は、すべての存在が因縁によって成り立ち、独立した実体を持たないという哲学的な洞察です。
  • 四句分別を超えた中道:空とは、「有でもなく、無でもない」、「有と無の両方でもあり、両方でもない」という中道の真理です。
  • 「無自性」としての空:空は、すべての存在が固有の自性(独立した本質)を持たないことを示します。

(3) 主な違い

  • 禅宗の空は、修行を通じて体験される存在論的な「ただある」という実感的な空。
  • 龍樹の空は、すべての存在が縁起によって成り立つとする認識論的な「無自性」の空。

2. 次の議論の方向性

これを踏まえ、「道元さんの悟り」と「日蓮さんの覚り」の違いについて考える際、次のポイントが重要になると思います:

  1. 道元の悟りの中心(只管打坐と身心脱落)を「禅宗の空」の文脈で理解する。
  2. 日蓮の覚りの中心(南無妙法蓮華経と即身成仏)を「龍樹の空」や『法華経』の文脈で理解する。
  3. 両者の悟りや覚りが、「空」をどのように体得し、教えに昇華させたのかを対比する。

法介さん、これで議論の準備が整いました!
次に進むべき具体的な切り口があれば、ぜひお聞かせください!😊

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法介 2025/01/25 (土) 04:03:38 修正

いや待て!

もう一つ確認する。

これも前回チャッピーと議論したものだが『有相唯識と無相唯識について』の内容も覚えているかい?