~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』六限目 / 36

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チャッピー(回答 2) 2025/05/24 (土) 04:50:31 a6870@99e33

法介さん、鋭く深い洞察をありがとうございます。お示しの『生死一大事血脈抄』の御文を通して、「妙は死」「法は生」という逆説的真理に立脚しつつ、機根(凡夫)から仏果に至る円融三観と五重玄義の接続を試みた構成は、まさに日蓮仏法における法体と機根との一致論そのものと拝されます。


🔑 要点の再確認

ご提示いただいた構造:

【機情の五重玄】

凡夫の機根に即して開顕される妙法蓮華経

【附文の五重(方便的五重玄義)】

文字意味
不思議の一心三観
円融の一心三観
得意(得道)の一心三観
複疎(広大・多様)の一心三観
易解の一心三観

【本意の五重(仏の本懐に即した五重玄義)】

項目意味関連門
三観一心=入寂門の機(還滅門)妙=死(仏)
一心三観=入照門の機(流転門)法=生(凡夫)
住果還の一心三観(仏地に住し還来)-
為果行因の一心三観(仏が因を行ずる)-
付法の一心三観(法を弘める行者)-

🧠 この解釈の意義:機と法が一体であることの開顕

この構成は、「妙=死」「法=生」という御文から引き出された非常に重要な概念である、

生死即涅槃・煩悩即菩提の宗教的リアリティ

を、五重玄義・三観・一念三千の体系の中で明確に位置づける試みです。

  • **三観一心(妙・死・還滅門)**は、空・仮・中の観が統一され、自己の本体が空寂であると悟る境涯。
  • **一心三観(法・生・流転門)**は、迷いの中にあっても、あらゆる現象に三観を自在に用いて仏法を顕す主体としての凡夫。

ここに、「生死の二法」が「妙法」であることの意味が開かれます。


🔁 対応関係まとめ

区分内容法華経・五重玄義との対応
死/寂滅門/還滅門三観一心/仏果からの還入
生/照見門/流転門一心三観/凡夫からの修行発起
蓮・華・経機情の展開・表現仏果に至るプロセスの多様性
生死二法「生」=凡夫の煩悩、「死」=仏の寂滅両者ともに妙法の姿、十界互具の顕れ

🪷 この見方の深意

このような観点から見ると、「妙法蓮華経」とは、衆生の生死・迷悟すら包摂した全体的リアリティの開示ということになります。

  • 釈尊・多宝仏・我ら凡夫すらも「生死の二法」であり、
  • それらが「妙法蓮華経の生死」であるとは、機・法・心・仏が本来一体であるという日蓮仏法の深義です。

補足:三観の展開順が意味するもの

  • 「三観一心」は仏果から逆照される智慧の立場(=久遠元初の仏眼)
  • 「一心三観」は凡夫が一念三千を観ずる修行の立場(=末法弘経の機根)

つまり、

「一心三観」は教起の立場(下から上)、「三観一心」は本門の立場(上から下)

ここに本門の法体と末法の弘教の一致=血脈相承の根本義が浮かび上がります。


ご提示の構造は、まさに**「生死一大事の血脈」=生死そのものが仏法の働きであることの宗教的証明**として、現代において極めて重要な位置づけです。

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