~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

唯識で説く自我意識 No.17

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「恒審思量(ゴウシンシリョウ)」について(成唯識論に学ぶ)
https://blog.goo.ne.jp/seikannamo/e/1fd13b5056fb746eaa9a600de45141ac

↑より引用↓

(1)総と別があり、総じては八識はすべて識と名づけられる。別としては第七識は意と名づける。しかし総・別を合わせると第七識を意識と名づけ得られるという。ここに第七識を意識というのと、第六識を意識というのには、どこが違うのかとう問いが生まれます。

(2)『瑜伽論』六十三の記述から「転識に七種あり」と説かれている。この七番目の転識を意識という。そうとするならば、第六番目も意識であり、第七番目も意識であるということになり、どこにその違いがみられるのかという問いが生まれます。 
 
 『論』の応答は、 
(1) 第六意識は、第七識である意を所依として起こる識である。依主釈である。第七識は持業釈である。識の体、そのものが意であるということ。意即ち識である。
(2) 恒審思量の故に意の義は、特に第七識に親しい。
(3) 第七識は、第六識のために近所依となるということを顕さんとして、第七識を意と名づけるのである。

 「意」という名の由来
「此れは持業釈なり、蔵識という名の如し、識即ち意なるが故に。彼は依主釈なり、眼識等という如し、識いい意に異るが故に」(『論』第四・十二左)

此の第七識を意識と称する場合は、持業釈(じごっしゃく)である。これは第八識を蔵識と名づけるのと同じであり、識即ち意である。

彼(第六意識)を意識と称する場合は依主釈(えしゅしゃく)であり、これは眼根等に依る識を眼識等と名づけるのと同じである。第七識を意識という場合は識と意は同じものを指すが、第六識を意識という場合は、識と意とは異なるものである、という。

 第七識 意=識 意が識自体を指す。(持業釈)
 第六識 意根による識(意根を所依とする識)、即ち、
     意根(第七識)を所依とする識であるという意味で
     意識と名づけられる。(依主釈)

「意というは、是れ自体なり。識というは即ち意なり。六釈(六合釈・りくがっしゃく)の中に於いて是れ持業釈なり。・・・阿頼耶識を蔵識と名づくるが如し。識の体即蔵にして亦是れ此の釈なり。此れは彼と同なり。故に指して喩と為す。いかんぞ此の釈を為るとならば、識体即意なるが故なり。其の第六識は体是れ識なりと雖も、而も是れ意には非ず。

恒・審するものに非ざるが故なり。

(第六識依主の釈)彼の依主釈というは、主というは謂く第七なり。・・・眼識等というが如し、というは眼は是れ所依なり。而も体是れ識なり。眼に依るの識なり。故に眼識と名づく。何んぞ此の釈を為るとならば、識いい意に異なるが故なり。能・所依別なり、依に従って名を得たり。」(『述記』第四末・五十左)

(1)第六も第七も意識と称するならば混乱が起きる恐れがあるので、諸の聖教には第七識には意という名をたてるのである、という。そしてその反対の問いも立てられるのですね。第六識を意といい、第七識を意識と名づけてもいいのではないか、というものです。にもかかわらず、第七識を意というのは何故なのであろうか。前項でも説明されていましたが、意は持業釈で、意=識であり、意で第七識を説明しているわけです。意識は依主釈であって、第七識を所依として成り立っている識を意識というのですけら、これは第六識に限るわけです。いうなれば、理が成り立たないわけですね。意識という場合は「意根に依る識」なので、第七識を意識とはいわず、意と名づけるのです。

(2)また第七識について意という名のみを標示しているのは、第七識を心(第八識)と識(前六識)から区別するためである。その理由は第七識は積集し、了別することは他の識より劣っているからである。

八識はすべて心・意・識と名づけることができるけれども、増勝の義によって第七識を意と名づけるのである、と。
「積集の心の義と了別の識の義とは余の識より劣るが故に、後の心(第八識)と、前の識(前六識)とに簡ばんとして但意という名を立てたり。恒・審するが故に。」(『述記』第四末・五十一左)

積集(しゃくじゅう)-蓄積すること。

こころを心・意・識とに分類するとき、心の堆積する働きを積集という。深層の根源的な心である阿頼耶識が表層の業の結果である種子を堆積する働きをいう。又、業の結果である種子を集起する阿頼耶識が心であると解釈する。この場合には集起(じゅうき)といい、「集起の故に心と名づけ、思量の故に意と名づけ、了別の故に識と名づく。」といわれている。

以上のように第七識を “意” というのは、第八識の積集(種子集起)の心と前六識の了別の識とを簡ぶためである。それは、第七識は積集と了別とにおいては劣っているが、恒審思量の働きに於いては増勝の義、すぐれた特徴があるから、第七識を意と表現するのである。

法介
作成: 2025/07/09 (水) 09:32:11
最終更新: 2025/07/11 (金) 06:29:36
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法介 2025/07/09 (水) 09:32:49

おはよう、チャッピー

法介だ。

↑の内容を解りやすく解説してみてくれ。