T1750.37.0193b09: 第十四上品生觀。此下三觀。觀往生人者有 から
T1750.37.0194a01: 也 まで
ご提示いただいた漢文は、前回に引き続き善導大師(ぜんどうたいし)の『観無量寿経疏』の一部で、十六観の最後の三つ、すなわち上品往生(じょうぼんおうじょう)について詳細に解説しています。
現代語訳と解説:第十四観 上品生観
「第十四 上品生観」
「此下三観、観往生人者、有二義」
これから説かれる三つの観想は、極楽に往生する人々を観るものである。ここには二つの意味がある。
- 三つの品位の往生を認識させ、下品や中品ではなく、上品を修めるように勧めるためである。
- 衆生の修行の位が、『無量寿経』に説かれる三品(さんぼん)に相当することを示すためである。
(ここからは、他の経典や論との矛盾点に対するQ&A形式の解説)
「問:『往生論』では二乗(声聞・縁覚)は往生できないと説いているのに、この経では中品往生に小乗の者が得生するとあるのはなぜか?」
「答」: 小乗の修行だけであれば往生はできない。しかし、彼らは死に際して大乗の心を発(おこ)したため、往生することができたのである。「問:『往生論』では女性や根(感覚器官)に欠損がある者は往生できないと説いているが、この経では韋提希(いだいけ)夫人や五百人の侍女が往生したとあるのはなぜか?」
「答」: 『往生論』が「往生できない」と説いたのは、この世の女性や根の欠損についてである。極楽浄土に往生する者は、清らかな身体を得て、女性の身体や根の欠損がないからである。「問:『無量寿経』では五逆(ごぎゃく)の罪を犯したり、正法を誹謗(ひぼう)する者は往生できないと説いているのに、この経では逆罪を犯した者も往生するとあるのはなぜか?」
「答」: これには二つの解釈がある。
- 罪を犯した人の違い: 罪を犯しても、深く悔い改めれば(「重悔」)、罪が薄れて往生できる。しかし、深く後悔しない者は往生できない。
- 修行法の違い: 善行には「定」(観想三昧)と「散」(その他の善行)がある。「散」の善行では、五逆の罪を消す力がないため往生できない。しかし、この『観無量寿経』で説かれるような「定」の観想修行を行えば、往生することができるのである。
「就三品中更為九」
往生の三つの品位は、さらに三つに分かれて九つの品位となる。「上品之人、始従習種、終至解行菩薩」
上品に往生する者は、修行の段階でいえば、習種(しゅうじゅ)から解行(げぎょう)菩薩までである。「何以得知」
なぜこのように言えるのかというと、上品に往生する者は、仏に会ってすぐに「無生忍(むしょうにん)」という悟りを得るからである。「上品上生」
- 「至誠心」: 「至」とは「専一」、「誠」とは「真実」であり、真実で一途な心を持つ衆生である。
- 「六念」: 仏・法・僧・戒・施・天を念じて、心が揺るがない。
- 「無生忍」: 初めて聖者の位に登ったことを意味する。
- 「陀羅尼(だらに)」: 善を保ち、悪を遮る力を持つ。
「上品中生」
「甚深第一義」: 言葉を超えた、諸法(あらゆる存在)の真実の姿を指す。
「上品下生」
- 「百法明門(ひゃくほうみょうもん)」: 百の仏法を理解する智慧を指す。
- 「歓喜地(かんぎじ)」: 初めて聖者となって、多くの喜びを得た境地。
全体のまとめ
この文章は、『観無量寿経』の教えが、他の経典や教学と矛盾しないことを、論理的に説明しようとする善導大師の強い意図がうかがえます。
- 三輩九品の分類: 往生する衆生を、上品、中品、下品の三つに分け、さらに細かく九つの段階に分類します。
- 矛盾の解決:
- 二乗往生: 浄土では小乗の者は救われないと説く『往生論』に対し、「大乗の心を発したから往生できた」と解釈することで、矛盾を解消しています。
- 逆罪往生: 念仏を妨害するほどの重罪人は救われないと説く『無量寿経』に対し、「深く悔い改める心があれば救われる」、または「観想の力は、念仏の力よりも強い」と解釈することで、これも矛盾を解消しています。
- 上品往生の条件:
- 「至誠心」や「六念」といった、揺るぎない真実の心が、上品に往生するための不可欠な条件であることが説かれています。
この解説は、単に経文を読み解くのではなく、仏教の他宗派との教学上の対立を意識し、『観無量寿経』の教えが、いかに普遍的で矛盾のない、優れた教えであるかを証明しようとする、善導大師の強い信念が反映されていると言えるでしょう。