24心理学(3)

23年度「心理学(3)」投稿ページ / 185

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G23501 2023/10/10 (火) 10:54:04 修正 54be2@ca67d

課題1
両眼視差(両眼網膜像差)について

両眼視差を用いた様々な図形↓
[リンク]両眼立体視 (http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/stereo.html) 立命館大学
 
両眼視差とは、二つの眼球の網膜像の差のことをいい、これは左右の眼球に移る像が異なっているということである。教科書p27の2段落目と3段落目に書いてある通り、右目のみと左目のみで見る情報には違いがあり、奥行きを読み取るための重要な手掛かりとなっている。左右の眼で像に違いが起きる理由としては、両眼間距離(右目と左目の距離)がおよそ6cmであることが挙げられる(※1)。これにより、例えば右目で見たら遠いが左目で見ると近いものの場合は「左側にある」とか、右目では左、左目では右に近い場合は「真ん中にある」と分かるということである。

※1:参考 相田沙織 「知っておきたいキーワード -両眼立体視-」,映像情報メディア学会誌(2021),75,6,779~781
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課題2
 「物理的刺激を感覚器官が受容して、それを脳が知覚へと仕立て上げる」ということに関して、そもそも脳がどのように知覚として処理しているかの過程が説明されておらず、教科書で説明されているのは「物理的刺激を感覚器官が受容した結果、このような現象が起こる」ということに思える。つまり、刺激を受容する器官は確かに存在するし、それによって盲点の実験や陰影による手掛かりのように物の見え方が変わることは確かに事実ではある。しかし、なぜ脳が処理をして以上のような近くが成されるか、については説明されていない。

 今回の資料にも書かれている通り、物理的刺激は知覚の対象ではなく、その刺激の集合体である情報こそが知覚の対象だと私も考える。例えば、右目と左目による「見え方の差」や物体の「陰影」、輻輳のような「眼球の動き」等、これらの情報から物体の位置情報を割り出していると考えることはできないだろうか。

 「ゼロからはじめる心理学・入門:人の心を知る科学」のp24~25に掲載されているコラムから、「心(主観)とは何か、という問題を、物体(客観)との関係でとらえることを目的とした」分野と書いてあり、またp31の最後の行では、視覚世界の見える過程が「なぜ、どのように、脳のどこで行われているのか、を知ることが、現代の知覚心理学が目指すところになっている」と記載されている。このことから、現代(この教科書の出版された2015年)では、知覚について脳がどのような処理を行っているかは明確なことは分かっておらず、脳が処理をしているという根拠についてはまだ判明していない様子がわかる。

 尚、教科書の出版年が2015年と古かったため、J-STAGEで「知覚心理学」というキーワードから、2023年以降の記事を検索したところ、「どのような知覚があるか」「刺激をどのように知覚するか」は調べられているが、処理過程について脳が関係しているか調べている様子はなく、研究が進められていない様子がうかがえる。また「幻覚(※2)」について、幻覚も一種の知覚であるため調べたところ、「どのような現象か」については説明されていたものの、「脳がどのように働いているか」については不明とのことであった。

※2:参考「幻覚ー脳科学辞典」
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感想
 「あ~確かに」といったような内容が多かったと思う。
 知覚の仕組みを使った「トリックアート」や「手品」のようなものは見ていて面白いと感じる人がそこそこいるため、「物体がどのような見え方をするか」といったテーマ自体は研究することとしては面白いテーマだと思う。
 しかしこれを「脳がこのように処理するか」ということを調べるとなった途端に、難易度が跳ね上がってしまうのはなぜだろうかと疑問に思った。研究するのであれば「脳のどの部位が活性化するか」といったことや「脳細胞の種類からどの種類が多いか」といったことであろうか。
 しばしば「心は脳にあるのか」といったことを疑問に持つことがあるが、もし脳がただの「身体の器官」に過ぎないのであれば、心というものは機械的に制御できたりするものであるのではなかろうか。しかし、知覚のように「脳が心になぜ作用するのか(またはその逆)」を判明させることが難しいということは、心は身体とは別の存在であり、「現象」とも「身体」とも形容できない「心理」というものではないかと思う。

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  • 189
    satsugakushinri 2023/10/10 (火) 12:57:59 >> 185

    課題1: 課題文には「どういう点でその情報が教科書の理解に貢献するのかを必ず説明すること」とありますので、単に情報を追加するのではなく、この点に言及した投稿にしてください。
    課題2: 脳がどのように(「なぜ」ではないですよね?)処理しているかが明確でないのに、脳が処理していると主張するのは確かに行き過ぎであると思います。しかし、そのような主張が十分な検討を経ていないにもかかわらず叫ばれるのは、脳が処理しているという考えに対する信念のようなものがあると思われます。それについてはどう考えますか。
    感想: 「心は身体とは別の存在であり、「現象」とも「身体」とも形容できない「心理」というものではないか」と、心とは何かを問おうとする姿勢は素晴らしいです。しかしまだ、否定形(「・・・ではない」)でしか定義できていないので、これを肯定形で定義したいものです。

    7点差し上げます。