G22130
2023/10/30 (月) 15:14:03
829f2@1aeca
>> 613
ドーパミン分泌が感情体験として感じられるのは、ドーパミンが放出されたことにより脳の報酬系と呼ばれる経路が活性化し、前頭前野や帯状回などの領域が活性化され、具体的な感情体験として感じられるからです。
また、「一方で脳の活動、他方で心の活動を記述して、それが平行して生起しているように書かれている」とご指摘を受けましたので考え直したいと思います。
上記のドーパミン分泌が感情体験として感じられる例も「心の活動」と「脳内の情報処理」が平行して生起されていることが分かる。確かにこれは心身二元論の平行説と言えると思います。
最後に今後の更なる理解のために質問したいのですが、
私が脳に重大な損傷が生じ、脳の機能が完全に停止した植物人間を例として扱い、一般的には感情や思考、主観的な経験がほぼ完全に失われた状態←この例を先生は心身二元論の相互作用説でも説明が可能であると仰りました。
私は脳の活動が停止していると、「心の活動」と「脳内の情報処理」のどちらも行えないため脳が死ぬと心も死ぬと思い、脳=心→心身一元論であると最初は主張していました。
ですが、「脳内の情報処理」が出来ないことで「心の活動」も停止するという負の相互作用が働いているから先生はそのようにお答えしたのではないかと考えましたがいかがでしょうか?
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「具体的な感情体験として感じられる」とは誰が感じているのですか。脳の活動と、それ以外の誰かが想定されるような書き方だと二元論になると思います。
「脳の活動が停止していると、「心の活動」と「脳内の情報処理」のどちらも行えないため脳が死ぬと心も死ぬと思い」のであれば、一元論であっても「④還元的唯物論」ではないですよ。多分「⑤創発的唯物論」になると思います。
「「脳内の情報処理」が出来ないことで「心の活動」も停止する」というのは、一元論に立っています。私は特定の立場に立って主張したわけではなく、あなたの考え方を明確にするために意見を言いました。
論述をするとき、「→」とかを使用するのは避けたほうがいいです。意味が取りにくくなったり、誤解を与えたりします。日本語の表現を磨いてください。脳死状態を二元論で捉えられると、私は言った覚えはありません。私の考えに従うと、あなたにはそう思えると言いたいのでしょうか。それならそう言ったほうが。