F23104
2023/11/17 (金) 16:44:58
9dc34@1aeca
>> 976教科書でのフラッシュバルブ記憶(以後FB記憶)の記述について間違っている点。
また、それを踏まえた上でFB記憶とは何かを記述する。
教科書では、FB記憶などの特殊事例を、人は条件さえそろえば、ビデオカメラのように全てを記憶できる例として紹介していた。だが実際のFB記憶の事例、例えば「小学校の頃にケネディ大統領が銃撃された」というFB記憶では、「何の授業を受けていたか」「周囲の様子」などは覚えているが、「先生の髪型、服装」「机の上になにがあったか」「外の天気」などは再生が困難であった。要するにFB記憶は通常の記憶と比べ幾分はっきりとしているだけで、教科書で述べられている通りのビデオカメラのような完全な記憶からは程遠いという事である。
また多数にFB事例の説明を依頼した場合、根幹となる部分、具体的にはそのニュースを知った「場所」、中断された「進行中の出来事」、それを知らせた「情報提供者」などその時点の思考過程を表しやすい事象を報告しやすい傾向がある。またFB記憶の明確さには報告者にとって重要度や心の中外を問わないリハーサルの回数が関係ある。つまり、FB記憶は写真のように全てを記録するものではない。実際には記憶者にとってのその情報の重要さなどに基づいて、他の記憶より多少鮮明に記憶が可能になるものだと考えられる。
出典 U.ナイサー,観察された記憶(上),1988,誠信書房.
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記憶が完全かどうかではなく、「何が鮮明に記憶されるのか」という点で、教科書は間違っているのではないかと思います。前回FB記憶における「フラッシュバルブ」とは何を喩えたものかと言いましたが、原著者たちは出来事そのものをフラッシュバルブに例えているのではないかと、私は思いました。写真撮影でフラッシュを焚いた時、鮮明に写るのはフラッシュ自体ではないですよね。
あなたの提供してくれた情報は事実ではありますが、私がこだわっているFB記憶の定義からすると、周辺的なものです。あなたの情報に価値がないと言っているのではなく、私の疑問への解答ではないということです。この情報によって、FB記憶についての知識を増やしてくれたことには価値があります。
3点差し上げます。