大統領に就任直後だったので、気概に満ちていたのだろう。80年代に入ると対外債務返済のため、悪名高い飢餓輸出を行った。ルーマニア人の知人はその点を評価していたが。
さらにシステマイゼーションと称して主にトランシルバニア地方の市街地を取り壊して共産主義的な建築物に造り変えるプロジェクトに着手した。これが結果的に鉄のカーテン崩壊のきっかけになった。住居を追われたハンガリー系住民が大挙してハンガリーへ難民として押し寄せた。これを持て余した当時のハンガリー政府は、難民の第三国への出国を許す法案を可決した。89年8月の東独難民がハンガリー経由で西ドイツへ亡命したヨーロッパピクニックはこうして可能になった。その後東欧諸国でのドミノ倒しが発生し、チャウシェスクは自分で自分の首を締めた事になる。
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