トルコは、第二次世界大戦では、一応、連合国側で、戦後はソ連の進出を警戒していた。
Wikiによると西側はソ連との緩衝地帯としてトルコをNATOに迎え入れた模様。
『第二次世界大戦では中立を維持したが、末期の1945年になり連合国の勝利が確定的になると、その圧力により2月23日にナチス・ドイツと大日本帝国に対して宣戦布告した。第二次世界大戦後は、ソ連に南接するため、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年には北大西洋条約機構(NATO)に、また1961年には経済協力開発機構(OECD)に加盟した。』
一方、1960年代にキプロス島問題が発生する以前のギリシャは、意外にもトルコと良好な関係だった模様。
『1948年以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したため、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は1949年に共産主義勢力の敗北によって終結した。
1952年に北大西洋条約機構(NATO)へ加盟、1953年に隣国のユーゴスラビアおよびトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、 1954年にはトルコとユーゴスラビアとの三国でバルカン軍事同盟を締結。外交的にもようやくの安定をみた。』
実際、イランにもソ連が侵攻しようとしたのをイランの女王がスターリンに取り入って止めたとの話もある。
これってホンマ?
『一方、ソビエト軍はイラン北西部からの撤兵を拒んだのみならず、1945年末にイラン領アゼルバイジャンのアゼルバイジャン国民政府とクルド人民共和国という親ソビエト国家設立の反乱を支援した。北西部のソビエト傀儡政権は非常に短命に終わり、1946年5月、両国とソビエト連邦で石油採掘契約が締結され、後にソビエト連邦軍が撤兵すると両共和国はすぐに倒され、石油採掘権は取り消された。』