二戸にのへの町へはみちのく岩手盛岡から80キロほど北上。
戦国時代1900年代頃の、二戸の城主は九戸政実くのへまさざね。
豊臣秀吉による全国制覇のための最後の戦いは、ここ二戸である。
九戸は5千人の軍隊で6万の兵を迎え撃つ。家康、光成、正宗も顔をそろえた。総大将は秀吉の甥っ子秀次、九戸は結局負けるのだが約束は反故にされ一族郎党惨殺。
無念の恨みを九戸に取って代わって歌い上げる「九戸政実の遺言」この町で歌うために作られたような歌だ。
久しぶりの二戸、君に会うために車を飛ばしてやってきた。
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